私は昭和のアイドルでよかったのかも――早見優が50代を迎えて振り返る、超多忙だった10代の日々 #昭和98年
ラジオが大好きだった14歳の少女は、当時ハワイからたった一人で来日した。「『これからどうなるんだろう?』ってワクワク。寂しさはありませんでした」。『夏色のナンシー』から40年、早見優(56)は相変わらずハッピーオーラ全開だ。アイドルとして駆け抜けた“昭和”は、早見優にとってどんな時代だったのか。あの頃を振り返りながら、今も輝き続ける秘訣を聞いた。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
海外留学中の娘が、友達から勧められた音楽が早見優
「留学中の長女が、アメリカ人の友達に『この日本のアーティスト、知ってる? 最近気に入ってるんだけど』とSpotifyで聴かされたのが、なんと私の曲だったんですって。『これ、私のママだよ』って娘が言ったら、不思議な顔をしたそうです。写真は17歳の頃の私ですから、混乱しちゃったみたい(笑)」 シティーポップ・ブームが定着した今、日本の若者にとって、今や昭和は「憧れの時代」だ。 「一時はジェネレーションギャップを感じることもあったんですけど、最近、娘たちも昭和にすごく興味を持っているんです。話が合うポイントが多くて、楽しいですね。それにしても、みんなどうしてこんなに昭和に興味があるのかしら。逆に知りたいです」 そう語る早見優(56)がデビューしたのは、バブル景気目前の1982年。デビュー曲はCMに起用され、「恋コロン、髪にもコロン、ヘアコロンシャンプー」と語りかける早見の初々しい姿がお茶の間を魅了した。翌年、最大のヒット曲となる『夏色のナンシー』をリリース。「NHK紅白歌合戦」にも出場した。
それから40年。50代になった早見は、今も精力的に活動を続けている。2021年にYouTubeチャンネルを開設し、昨年はベストアルバムをリリース。今後はソロライブも予定している。 「SNSで、ファンの反応やメッセージをすぐに見ることができるので、嬉しくて。デビューした頃は、ファンクラブを介してファンレターをいただき、それを読んでお返しして……って、コミュニケーションを取るのにもかなり時間がかかっていたので、これはすごいことだなと改めて思います。情報過多だとも思いますし、そこからどう選択をするかという難しさもありますけど、アナログ時代を知っている者としては、素直に面白いです」