「彼らは島の宝なんです」――プロ野球界のレジェンド・村田兆治が、離島甲子園で球児たちに伝えたいこと
全国の離島から集まった中学生による野球大会、通称「離島甲子園」。コロナ禍で2年間の延期・中止のあと、今年、新潟県の佐渡島で13回目の開催を迎えた。大会提唱者は、まさかり投法で一世を風靡し、通算215勝をあげた元プロ野球投手の村田兆治氏。大会の模様と同氏の離島球児たちへの思いに迫った。(取材・文:遠藤修哉/撮影:渡辺秀之/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「あの子はいい投げ方をしてるんだけど、間合いが悪いなぁ」 芝生が生い茂る外野フェンス奥で、ストレッチをしながら子どもたちの野球の試合を見ている。ときに手厳しく、ときに目を細めて球児たちのプレーを評していたのは、「まさかり投法」でプロ野球通算215勝。元ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)のプロ野球選手・村田兆治(72)だった。
「中学生っていうのは、子どもらしい体で、可愛らしい声を出している子がいる一方で、180センチを超えて大人のような低い声を出す子もいる。この差が面白いよね」
離島から甲子園の舞台へ
離島の中学生が一堂に会する軟式野球の全国大会、「国土交通大臣杯 第13回全国離島交流中学生野球大会」、通称「離島甲子園」が3年ぶりに、新潟県佐渡市の4球場で、8月22日から26日まで5日間の日程で開催された。 村田が提唱した「離島球児の野球大会」はコロナ禍で2年間の開催延期・中止はあったが、今年、13回目の開催を迎えた。 25日の閉会式では佐渡島に集まった、北は北海道・礼文島から南は沖縄・竹富島までの23チーム、約400人の中学生を前に、村田は3日前に仙台育英の優勝で終わった「夏の甲子園」を引き合いに出し、ゲキを飛ばした。 「離島甲子園から“陸の甲子園”に行き、将来は夢と自信を持って、人の先頭に立つ人間になってほしい」
「過疎化、少子高齢化、そして野球離れ、まさに現在の日本の縮図だ」と村田が評する離島。チームがそもそも組めない。組めたとしても予算や時間の関係で、練習試合が組みにくいなどハンディを抱える離島球児を支援しようと、2005年の交流大会をきっかけに始めた野球大会だ。 17年かけて試行錯誤、少しずつ規模を大きくしながら、大会に携わってきた。そんな「手作りの大会」が今年、大きな2つの実を結んだ。 1つ目は、「大会OBの甲子園出場」。2019年の離島甲子園に出場した鹿児島県立大島高校のエースや主力選手が、今春の「第94回選抜高等学校野球大会」で甲子園の舞台に立った。 2つ目は、「大会から初のプロ野球選手の誕生」。2014年の大会に参加した佐渡市出身(佐渡高)の菊地大稀投手が、昨年、日本プロ野球(NPB)の読売巨人軍から育成6位でドラフト指名を受け、今年4月支配下登録。1軍のマウンドに立ったことだ。 大会発足当初から「離島からのプロ野球選手輩出」を目標にし、常に口にしてきた村田は、目を細めてこの2つの“果実”を愛でている。