「彼らは島の宝なんです」――プロ野球界のレジェンド・村田兆治が、離島甲子園で球児たちに伝えたいこと
「確かに私がきっかけとなった大会だけど、現場で成長した大会です。第1回の大会に出た中学生が今、県の職員になったり、副町長になったりして、大会をバックアップしてくれている。野球を通じた、人と人とのつながりこそがこの大会を支えていると言っても過言ではない」 村田の理念に共感した名だたる企業が協賛スポンサーとなって大会を支えている。離島から20人を超える野球チームが、県外、しかも、離島に遠征するには相当な「出場費」がかかる。大会中の宿泊、移動、食事など到底、子どもたちの家計でまかなえるものではない。事実、今大会に集まったほとんどのチームは、飛行機や電車、フェリーを乗り継ぎ、丸1日かけて佐渡島に渡ってきている。 村田がこの「離島甲子園」を思い立ったのは、引退後の講演活動にある。引退翌年の1991年、新潟県・粟島での野球教室開催を頼まれた。しかし、そこで将来の子どもたちの夢を聞いて驚いた。「『プロ野球選手!』と元気よく手をあげるものだと思ったら一人もいなかった」 「沖縄、奄美、小笠原などの大きな島を除いて、有人の離島は全国に約220あった。島の数を聞いたら、私の通算215勝とほとんど同じだということを知った。そこに縁を感じ、それからは、島を一島一島まわって、子どもたちに本物を見せようと思ったんだ」
中学生が相手でも手加減しない理由
以来、北海道・利尻島から沖縄・与那国島まで50を超える離島を訪れ、野球教室を開催。自らが手本となって「まさかり投法」を見せてまわった。最近の投手には見られない、豪快かつ、独創的なフォームから放たれる140km/h超の剛速球。打席に立つ子どもたちを震え上がらせた。 子どもにだろうが、振りかぶって常に全力投球をする。「大人げない」などと言われたこともあったようだが意に介さない。 「私が狙うのは外角低め。島で一番の野球がうまい子、悪く言えば“天狗”になっているような子を選んで打席に立たせ、キャッチャーには『ミットを構えてそこを絶対に動かすなよ』と言っておいて、ビタッとそのコースに投げ込む」 グンと唸りを上げた白球にバットは空しく空を切る。島の天狗はすぐに鼻を折られることになる。 「内角に投げて間違って体に当てちゃ、トラウマになっちゃうから、そこは投球の基本の外角低めを狙う。全力で投げる理由は、敵わない世界があるということを身をもって教えることも大事だと思うから。バットにかすりもしない、手も足も出ないことで、悔しさを知る。島の外に出たら、とんでもない世界もあるんだということを知ってほしいんだよ」 一方でレギュラーでない子も打席に立たせる。素振りを見て、バットを出しているコースを狙って投げる。 「するとボールがバットに当たるんだ。『すごいっ!』って、どよめきと拍手が起きる。レギュラーは当たらなかったのに、自分はバットに当たった。その子が自信をつけたりするんだよ」