「彼らは島の宝なんです」――プロ野球界のレジェンド・村田兆治が、離島甲子園で球児たちに伝えたいこと
実際、今年の大会決勝後に開かれたプロ野球OB「まさかりドリームス」による野球教室では、マウンドにこそ立たなかったが、「29」の背番号がついたユニホームに身を包んだ村田は、中学生のチームから捕手を指名し、往年のフォームを披露した。 投手捕手間の距離(18.44m)、塁間(27.431m)、50mに及ぶ遠投。この大会で中学生が使った軟式球、プロ野球選手が使う硬式球、双方を自在に操り、中学生相手に“大人げなく”フォークボールをも投げ込んだ。 「口先だけでいかに昔はすごかったんだって自慢しても、大人には通用するかもしれないが、子どもには通用しないと思う」 72歳の投球が凄いのではなく、プロの投手のボールのすごさが、子どもたちの目と耳を釘づけにした。
「普段、本物に接することの少ない離島の子どもたちに、この教室を通して本物のすごさを伝えたい」
佐渡、壱岐、対馬、3島で始まった大会
2005年、佐渡島で現在の礎となる、佐渡、壱岐、対馬の3市で交流野球大会を開いた。その後、2回のプレ大会を挟み、2008年、東京・伊豆大島で10自治体約180人を集めた「第1回大会」が行われた。隠岐、種子島、上島(愛媛県)、八丈島、壱岐、佐渡島、五島、石垣島、対馬を回り、今年の「第13回大会」は前身となる大会を含めて3度目となる佐渡島で開催。23チーム、約400人もの中学生が参加する全国大会に発展した。 前述の菊地大稀投手も、地元・佐渡で行われた第7回大会に出場。開会セレモニーで選手代表として挨拶をしたあと、村田から力強く握手をされて、プロ野球選手への憧れを強くしたという。 「プロ野球選手輩出」を開催当初の目標としていた村田は、「離島甲子園」OBの活躍を手放しで喜ぶ。 「今回も、奄美市選抜と龍郷選抜が出ているでしょ。今年のセンバツに出たエースの大野稼頭央投手は龍郷選抜、西田心太朗捕手や武田涼雅主将は奄美市選抜と、別々のチームだった。島の近接する地域ってライバル意識が強かったんだけど、同じホテルに泊まって、いろいろ話すうちに『同じ高校に行って甲子園を目指そう』と誓ったんだ。 以前は、奄美大島や周辺の島の有力中学生は、遠く離れた九州本土の高校に進学するものだった。甲子園でも、島出身の選手がいると島民が一緒になって応援していたが、今回は正真正銘、島の野球部員32人での出場。九州代表として甲子園に行った。こういう積み重ねが後輩が野球に打ち込むきっかけになるし、島の人たちも自信になったことは間違いないんだよ」 事実、本土の強豪校に誘われていた大野投手を西田捕手が口説いて一緒に大島高校に進学した。「離島甲子園」がなかったら大島高校の、21世紀枠ではない、九州大会を勝ち進んでのセンバツ出場はなかったかもしれない。