「下北沢」はいかにして古着の聖地となりえたか? 東洋百貨店オーナーに変遷を聞く
東京都世田谷区に位置する下北沢。駅裏の通りを服好きのZ世代とインバウンドの観光客が行き交う。ここはおよそ200店舗の古着屋がひしめく日本屈指の「古着の聖地」である。 渋谷を挟んで電車で10~20分ほどの近さにある表参道や代官山とはまったく風景が違う。ハイブランドのフラッグショップはなく、立ち並ぶビルはどこか古びている。しかしながら、間違いなくファッションの自由があふれている。 世界でも稀にみるユニークな街の成り立ちと今後について、東洋興業社長・しもきた商店街振興組合副理事長の小清水克典さんに話を聞いた。
下北沢の古着文化を牽引する「東洋百貨店」
小清水さんは下北沢で生まれ、育った。そして現在は地元の不動産を管理する「東洋興業」のトップとして、また「しもきた商店街振興組合」副理事長としてこの街の発展に関わり続けている。 東洋興業が運営する「東洋百貨店」は、日本の古着文化を語るうえで外せない存在だ。
下北沢駅の北口を一本入ったところの裏通りにこのビルはある。1フロアに約20店舗、ここでしか出合えない物品が並ぶ。小清水さんは2004年に東洋百貨店をオープンした。
「東洋百貨店にはさまざまな業態ショップが入居していますが、必須条件は『一点もの』『手作りのもの』『オリジナル商品』を扱うことです」
東洋興業は管理していた駐車場の跡地にこの施設を作った。薄暗い入り口の奥には、ハンドメイドの時計店、作家に店内の小さなブースを貸して販売を代行するショップ。そして「一点もの」の古着屋が軒を連ねる。ここでビジネスをスタートし、巣立っていったファッション業界人は数知れない。東洋百貨店はこの20年の下北沢文化の象徴と言える存在なのだ。 「お金がない若い人でも、できるだけ安く開店できるようにしたかった。未完成でも、情熱がある人々が集まるように。下北沢は『闇市』から始まった街ですから」 東洋百貨店は下北沢の戦後史を背負った施設でもある。1940年代に遡ろう。