「下北沢」はいかにして古着の聖地となりえたか? 東洋百貨店オーナーに変遷を聞く
原宿と下北沢
「古着」はきわめて複雑な発展を続けるジャンルである。80年代のバブル期には原宿の「フェイクα」や「バナナボート」などの高感度なショップが「ヴィンテージデニム」を打ち出し、古着は一種のこだわりの象徴となった。
ファッションにおいては「裏原宿」「Kawaii」カルチャーを生んだ90年代を経て、2000年代後半にはストリートスナップ発で古着の再燃が起こっている。一例では雑誌『CHOKiCHOKi』のカリスマ読者モデル「おしゃれキング」から、ブラウンのスーツやループタイ、革靴といったあえて古めかしいアイテムを使った「オジボーイ」と呼ばれる古着MIXスタイルが生まれた。
原宿を中心にトレンドとしての古着ブームが盛衰していく間も、下北沢は変わらず「古着の街」であり続けた。 「下北沢の古着屋のテイストは、面白くてリーズナブルなもの。バンド文化の影響もあってアメカジ系が多かったのですが、ユニークな古着のショップもたくさんありました。たとえば日本の『野良着』だけを扱う店があったりね。このころから海外からの注目が徐々に集まってきました」 下北沢の魅力とは何なのだろうか。小清水さんはこの時期、印象的な言葉を聞いている。ドイツから訪れた旅行者がもらした言葉だった。 「新宿も渋谷も素晴らしいが、実はこんな街は世界のあちこちにあるんだ。でも、下北沢みたいな街は、下北沢にしかない」 文化の中心地から外れた人々が創りあげた「ブランドを持たない街」は、いつしか世界からも驚かれる個性的な表現者の交流の場になっていた。
2020年代の古着ブームとは
2010年代に入ると下北沢には新しい古着屋の風が吹きはじめる。銭湯跡地に「NEW YORK JOE」が開店、「VELVET」や「KALMA」などのヴィンテージショップが続いた。並行して「DESERTSNOW」や「GRIZZLY」などの古着チェーン店の展開も大きな役割を果たした。 フリマアプリの普及やリユース店などの増加で2次流通が急速に身近になった社会背景も、人々の古着への興味を醸成しているだろう。