「下北沢」はいかにして古着の聖地となりえたか? 東洋百貨店オーナーに変遷を聞く
闇市からサブカルチャーの拠点へ
戦後、下北沢には古着屋もカレー屋もなかった。駅の横には、各地から食料品・物品が集まり、市場を形成した。
「もともと下北沢は世田谷区のなかでも将校などが住む閑静な屋敷街でした。そこに戦後闇市が立ち、屋根がのって、駅の隣が『下北沢駅前食品市場』に発展しました。それから長らく主婦の方の買い出しの街だったんです」
上野アメ横商店街と同じように成立した「闇市」としての下北沢。その景色が変わりはじめたのは60年代、街を動かしたのはやはり女性の力だった。最初に下北沢に参入した産業は「レディース向けアパレル」だったという。 「徐々にアパレルショップが開店してきました。特に目立ったのはレディースの洋品店で、働きはじめた若い女性が自分へのご褒美に良い服を買いに集まっていました。ビジネスファッションというよりは上質なカジュアルというテイスト。『シモキタマンボ』というパンツがトレンドになった時期もありました」 70年代に入ると街が大きく変わっていく。 「新宿や渋谷などのカルチャーの中心地から、かけだしのミュージシャンや演劇人が活動の場を移してきたのです。それ以降、下北沢にはライブハウスやバー、カフェ、劇場が増えていきました。中心地から近く、地価が安かったことも大きな要因でしょう」
老舗は1975年開店のバー「レディ・ジェーン」。そして小劇場の「ザ・スズナリ」「本多劇場」、ライブハウスの「下北沢ロフト」「下北沢シェルター」などが続々とオープンする。そこに集まるのは次のスターを目指す表現者、そしてメインカルチャーに疑問を持ち、中心から外れた人々だ。こうして下北沢は日本におけるサブカルチャーの爆発的多様化を牽引していく。
「70年代に、下北沢に『古着屋』ができはじめたと考えています。個性があり、自己表現のツールになる。しかもお金がない若者も買うことができる。このころから『古着の街』と呼ばれはじめた記憶があります」 ほぼ同時にカレーやラーメンなどのカジュアルフード、古本屋などの小規模ビジネスが参入する。ちなみに小清水さんが経営する東洋興業は、当時は不動産ではなく「映画館」を経営していた。70年代は映画の黄金期でもあり、下北沢には映画館が4館、駅を取り囲んでいたという。