追悼。伝説の名スカウト片岡宏雄さんに教えられたプロで成功する選手を見極めるコツ…愛するヤクルトの優勝を見届けて旅立つ
ヤクルトの伝説のスカウトの片岡宏雄さんが亡くなられた。享年85歳。今月6日に船橋の介護付きマンションでご家族に見守られて静かに息を引き取られた。数年前に前立腺ガンがみつかり、その治療が「辛い」「痛い」という話をされていたが、ガンの進行ではなく、新型コロナの影響もあり出歩くことができなくなり一気に衰えがきて天寿を全うされた。 ご遺族の話によると、意識が朦朧とする中、愛するヤクルトスワローズの試合だけは、毎日、テレビ観戦を続け、6年ぶりのリーグ優勝と日本一を確かめると安心したかのように旅立たれたという。 2度、胴上げされた高津臣吾監督は、片岡さんがスカウト部長だった1990年にドラフト3位で指名した選手。亜細亜大では8球団が競合することになる小池秀郎氏の控え投手だったが、片岡さんが、小池の練習をグラウンドに見に行った際、たまたまブルペンで投げていたアンダースローの変則投手が目についた。その球離れと、沈むような下半身の使い方を見て、スカウトの勘が働いた。 片岡さんのスカウト哲学のひとつに「本格投手だけではチームは成り立たない。数年に一人くらいしか出ないが、サイドやアンダースローの変則や、上背のない左腕など、バラエティ豊かな選手をみつけてドラフトで取っておかねばならない」というものがある。 そのアンテナに高津監督がひっかかった。 「当時、宮本賢治(現ファームコーディネーター)というアンダースローがいたんだが、もう力が落ちていてな。高津は、小池の陰に隠れていて、ちょうどよかった。逆に試合で投げるなと祈っていたよ。おまけに社会人(三菱重工広島)も決まっていたしね。他所が手を出しにくい状況にあった。当時の矢野監督は、立教の先輩。指名すれば、無理は聞いてくれると思った。それでも小池がクジで当たっていたら、“なんや出来レースか”と勘繰られるので、高津は指名できていなかったかもしれん。小池はロッテにクジを引かれて入団を拒否したが、うちなら来るはずやったが…」 片岡さんは、高津監督がヤクルトに投手コーチとして復帰する前から「指導者として戻るべき人材だ」と、いつも言っていた。 ちなみに日本シリーズ第4戦で好投した41歳の石川雅規は、片岡さんがスカウト時代に獲得して、今なお現役の最後の選手。「小柄でもセンスのある左腕はプロで通用する」を証明した投手である。