104歳ひとり暮らしの父を支えていたのは、91歳で旅立った母だった。「父の中に今も生きている」
映像ディレクター・映画監督の信友直子さんによる、認知症の母・文子さんと老老介護をする父・良則さんの姿を描いたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は大ヒット作品に。そして母・文子さんとのお別れを描いた続編『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』の公開から2年半、104歳になった良則さんは、広島・呉でひとり暮らしを続けています。笑いと涙に満ちた信友家の物語から、人生を振り返るきっかけを得る人も多いはず。そこで、直子さんがその様子を綴った『あの世でも仲良う暮らそうや』から、一部抜粋してご紹介します。 【写真】父の唯一の得意技だった「コーヒーを豆から挽いて淹れる」 そこには母の分も * * * * * * * ◆99歳父のひとり暮らし 母が旅立って、99歳の父は一人になってしまいました。2020年6月、新型コロナ感染症で世間が大騒ぎだった頃です。 私は父が心配でした。あんなに母を愛していたのに、喪失感の大きさはいかばかりか、容易に想像できたからです。妻が亡くなると夫が後を追うように亡くなるという話もよく耳にします。父もガックリ来て、生きる気力をなくしてしまうのではないか。そう思うと気が気ではありませんでした。 実際、しばらくはボーッと物思いに沈むことも多かった父。私を呼ぼうとしてつい、 「お母さん」 と口にすることもあり、胸がしめつけられました。そんな時はどう反応したらいいかわからず、気づかないふりをするので精一杯でした。
◆100歳の誕生日を迎えて 父の気をまぎらわそうと、おもしろくもない冗談を言っては笑わせようともしました。今思い返せば、私の態度の方が痛々しかったかもしれません。 でも私は私なりに、母から「お父さんを頼んだよ」と託されたように感じて必死だったのです。 最も心がけたのは、食卓に父の好物を並べることでした。ちょうど瀬戸内名物の小イワシ漁が解禁になった季節だったので、青魚の刺身に目がない父のために大量に買い求め、1尾ずつ骨を取り除き、何度も水洗いして臭みを抜く……そんな手間のかかる作業を、毎日していた記憶があります。 (私自身、こういう面倒な作業に没頭して心を無にすることで、母を喪(うしな)った悲しみから意図的に目を逸(そ)らしていたようにも思います) 小イワシパワーのおかげもあってか、父は食欲を落とすことなく、夏を乗り切ってくれました。少しずつ笑顔も増えてきました。 そしてその年の11月、めでたく100歳の誕生日を迎えたのです。
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