104歳ひとり暮らしの父を支えていたのは、91歳で旅立った母だった。「父の中に今も生きている」
◆近所の人気者に この頃、気づくと父はご近所の人気者になっていました。父が手押し車を押しながらひょこひょこ歩いていると、あちこちから声がかかるのです。 「お父さん、どうしよる? 元気?」 そして父も、朗(ほが)らかに答えます。 「おう、元気にしよるよ。ありがとね」 昔の内気でおとなしい父からは考えられない社交的な姿に、私は目を見張りました。 そして更に驚くことに、私がいない時には、父はご近所さんからおかずをいただくことも多いと言うのです。 「今日は娘さんがおらんのなら、食事に困るでしょうと言われての。『ウチでおでんを作ったけん持って行きんさい』言うて、この間もうまいおでんをもろうたわ」
◆ご近所さんの悩み相談を引き受けていた母 ははあ、映画で有名人になったからだな。私はそう思いました。 認知症の母を父が介護する様子を描いた私の映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が予想を上回る大ヒットになり、地元・呉の映画館でもロングラン上映されたおかげで、父は「お父さんカッコイイ」などと言われてチヤホヤされるようになったのです。 しかし父は、 「いや、これはお母さんのおかげなんよ」 と言います。 「どういうこと?」 と聞くと、 「おっ母がずっと、近所の人にようしてきたけんの。じゃけんわしが今、近所の人にようしてもらえるんじゃ」 その瞬間、元気だった頃の母の笑顔が鮮やかに蘇ってきて、泣きそうになりました。 そう言えば母は昔から、ご近所さんの「悩み相談」を一手に引き受けていた人でした。ウチにはいろんな人が「信友さん聞いてぇや」とやって来ては、悩みを打ち明けていました。 それを母はニコニコと辛抱強く聞き、時には「こう考えたら楽になるんじゃないの?」と助言していたのです。いわゆる「聞き上手」だったんですね。 そのうえ口が堅いので、みなさん安心して悩みを吐き出し、 「あー聞いてもろうてスッキリしたわ。ありがとねぇ」と晴れ晴れした顔で帰っていたのです。
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