G7は本当に先進国の集まりか? アフターコロナの世界における「キャッチアップする経済」と「埋まらない文化の溝」
先進国に追随するという幻想
日本は現在「自由」と「民主」を標榜する西欧文化の側に位置する、もしくは位置しようとしている国であるが、地理的にも人種的にも文化的にも、西欧そのものではない。またアメリカとヨーロッパにも、ドイツとイギリスとフランスとイタリアあるいはカナダにも、それなりの文化の違いが認められる。 そう考えたとき、G7という枠組みにとって守るべき原則とは何か、という問題について、自由、民主、先進の結びつきを、いったん白紙に戻して考え直す必要があるのではないか。たしかに自由と民主は重要な価値であり、日本がその価値を大切にすることはまちがっていないが、世界の国々の現実にはどこも、いくぶんか不自由で非民主的なところがあるものだ。そしてこれまでのような、西側の欧米諸国が絶対的な先進であり、その先進性にすべての国が追随するということは幻想に近いものになっている。 なかなか変わらないとはいえ、社会体制は時代とともに変化する。国際平和と人権の立場から、他国が干渉して変化させる余地もあるだろう。しかしその根底にある、国と民族の文化特性の溝は簡単には埋まらない。世界の文化はその差異を認め、共存していくほかはないのだ。 地球温暖化による異常気象や新しいウイルスの登場も、そのことを示唆しているように思える。人類の未来は、単純な文明信奉者が考えているほど楽観的なものではなく、単純な民主主義信奉者が考えているほど均質的なものでもない。 今日は8月15日。先進とされる国々が行ってきた暗い記憶がよみがえる。コロナも猛暑も豪雨も特別すぎる夏。