G7は本当に先進国の集まりか? アフターコロナの世界における「キャッチアップする経済」と「埋まらない文化の溝」
アメリカのトランプ大統領が主要7カ国首脳会議(G7サミット)を大統領選後の11月に延期する考えを示しました。G7サミットを巡っては、新型コロナウイルスの影響で開催地や時期が二転三転。また、参加国についてG7以外の国を招待する案が出ています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、先進国という枠組みについて考え直す時期に来ているのではないか、と考えます。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
G7は拡大すべきか
アメリカのトランプ大統領は以前、自国のワシントン郊外にある大統領の別荘「キャンプ・デービッド」で開かれる予定だったG7サミット(日本、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、カナダ、イタリア)に、ロシア、オーストラリア、インド、韓国を加えるという提案をした。開催時期は二転三転した結果、11月の大統領選後が目指されているが、新型コロナウイルスの感染拡大がつづく状況の中ではどうなるか分からないし、肝心の大統領が変わる可能性が高まっている。 それにしてもこの面子を見ると、いかにも露骨な「中国外し」が感じられる。「包囲網」といってもいいだろう。世界の主要国は、中国の力の拡大を止めるというアメリカの長期戦略のもとにまとまれということか。 韓国はさっそく「喜んで参加する」と表明する。先進国へのパスポートと考えたに違いない。そして北朝鮮への情報漏洩という疑義を呈した日本に対して「日本の恥知らずは世界最高水準」と感情的な反発をした。しかしG7拡大についてはアメリカ以外のほとんどの国が、主としてロシアの参加を問題にして、反対あるいは懸念を表明している。 しかも北朝鮮の陰には中国が隠れているのだから、逆にいえば韓国の文政権は、北朝鮮とともに中国との関係にも踏み絵を迫られている微妙な立場なのだ。 とはいえ、ここで考えたいのは、そういった各国固有の政治問題ではなく、そもそもG7という枠組みにどのような条件が課されるべきかという問題である。その条件とは、どうやら「経済力」だけではなさそうだ。