G7は本当に先進国の集まりか? アフターコロナの世界における「キャッチアップする経済」と「埋まらない文化の溝」
「先進」というステータス
1975年に6カ国で始まり、先進国首脳会議、主要国首脳会議とも呼ばれるG7サミットは、世界経済をリードする国の首脳が集まって価格、通貨、景気の安定などを話し合う場であったが「頂上、先進、主要」などの言葉に表れているように、ある種の「国家ステータス」を象徴する部分もあった。 しかし21世紀に入るころになると、経済的躍進の著しい新興国の力が無視できず、より現実的な経済力を反映したかたちのG20(1999年に蔵相会議、2008年から首脳会議)が開かれるようになり、G7の地位は相対的に低下していた。加えて、トランプ大統領は2018年の会議において、ドイツのメルケル首相をはじめとするヨーロッパの首脳たちに詰め寄られる場面を経験し、孤立感を深めていた。安倍首相がトランプの側に立つ象徴的な写真がある。 そういったことが今回の提案につながっているのだが、アメリカ以外の国は拡大案に対して、G7の「原則」を確認すべきだ、という慎重な姿勢である。当然だろう。 たしかに今世紀に入ってからの新興国の経済的キャッチアップを考えれば、G7拡大という意見にも理はある。しかし経済力だけを条件とするなら中国を抜かすことの理屈が立たない。つまりG7各国で合意できる「原則」とは、経済の強さだけでなく、世界のモデルとなるような「自由と民主」の社会ということで、それが先進であるということだろう。G7は、経済大国クラブではなく、先進国クラブであり、参加条件はその国の「社会体制」に及ぶということだ。 しかし「先進」とは何か、今のG7が本当に「先進」なのか、と問われるとなかなか難しい。 最近、中国の自然科学系の論文数が米国を抜いて世界トップに躍り出た。特許出願数に関してはすでに他国をはるかに圧倒している。つまりその数だけで判断すれば、科学・技術においてはもはや中国が最先進国ともいえるのだ。ところがその社会体制は、共産党独裁のままであり、必ずしも自由と民主に向かっているわけではない。科学・技術・経済はキャッチアップしても、社会体制はなかなか変わらないのである。 韓国も、経済的技術的な面ではすでに先進国といっていいが、常に前大統領を重罪にするという政治のあり方は必ずしも民主的とはいえないだろう。ロシアも、ソビエト時代にはアメリカに対抗する科学技術の国であったが、社会体制は、共産党独裁だった当時はもちろん、現在もプーチン大統領の長期独裁体制が続いていて、民主的とはいいがたい。 これまでは、科学技術と経済が進んだ近代的な国家は、自由で民主的な社会になるということが何となく信じられていた。しかし今はそこに大きな疑問符が突きつけられている。かつての先進国と、近年力をつけた新興国とのあいだには、何か大きな「文化的な溝」があるのかもしれない。最近の世界状況から感じられるものは「キャッチアップする科学・技術・経済」とともに、「変わりにくい社会体制」と「埋まらない文化の溝」ではないだろうか。