38年ぶり日本一に輝いた阪神タイガース そのチーム名とユニフォームから感じる古代中国の世界観とは?
日本文化に染み込んだ長安的世界観
この長安的世界観は、当然のことながら日本文化に染み込んでいる。そもそも平城京や平安京の地を都に選んだのは「四神相応」であったからとされるが、この四神とは青竜、朱雀、白虎、玄武の神獣と考えていい。戊辰戦争で官軍と戦った会津藩の少年隊を「白虎隊」と呼んだのは、西を守ることからだろう。北原白秋という詩人の名前も、青龍門という中華料理屋の名前も、ここからきているのだろう。日本文化の隅々に、長安的な世界観が染み込んで、現在のプロ野球のチーム名やユニフォームにも反映しているのだと思われる。 こういった世界観は道教(特に陰陽五行説)からくるものと考えていいが、中国が世界の中心であるという中華思想にもつながっている。中国という国は風土的に、東は東シナ海、南は南シナ海、西はヒマラヤ山塊とタクラマカン砂漠に囲まれている。しかし北には風土的な境界がなく、常に遊牧民の侵略を受けるので、万里の長城を築いて防いだ。これによって中国は四方を囲まれた「中の国」となったのだ。 そしてその四方の境界の外側を「化外(文明の外)の地」として、そこに住む人たちを「東夷・西戎・南蛮・北狄」という蔑称で呼んだのである。日本は島国で、やはり周囲を囲まれた「中の国」なのだが、細長いので、大和朝廷の力が列島全土に及ばず、特に東方は、東夷(あずまえびす)と呼ばれる蛮族の地であった。「将軍」の正式名は「征夷大将軍」であるから、これは東夷を征伐する軍人の長を意味するのだが、鎌倉時代以後は、逆に京都の天皇を抑える力をもつ武人の意味となり、列島を実力で治める者の呼称となった。北条、足利、織豊、徳川などの政権は、京都の公家たちから見れば、いわば「東夷の逆襲」である。 また、16世紀にやってきたスペイン人やポルトガル人を「南蛮人」と呼んだのも、彼らがマラッカ海峡を越えて南の海からやってきたからである。しかしこの南蛮は、蛮族どころか大変な文明人で、それを正確に把握したのは織田信長ぐらいのものであった。前にこの欄で書いたように、ルイス・フロイスと18回も面談し「科学的談話」に及んだ信長は、単に鉄砲を戦術に組み込んだのではなく、この時代の日本では唯一といっていいほど突出した、新しい大きな世界観をもったのだ。それが明智光秀を象徴とする旧来の東洋的日本的な世界観と衝突した。 そもそも人間とその集団どうしの葛藤は、世界観の違いによるところが大きいのだ。