見解1944年8月から、本土では空襲を逃れるため、沖縄ではやがて来る地上戦に備えて疎開が始まりました。 沖縄の場合は、本土か台湾に船で行くしかなく、その初めての疎開船が対馬丸でした。 那覇港を出た翌日夜沈没、800人の学童を含む1500人が海に沈みました。 その後の疎開事業が滞るのを恐れた行政と軍は、緘口令を敷き、沈没は隠されました。 亡くなった子らを公に悼むことすらできませんでした。 助かった子どもはわずか、多くの方々が鬼籍に入りました。 しかし、対馬丸事件はその後の沖縄戦の始まりです。ご遺族も多く、戦争が子どもの命を容赦なく奪うことの象徴でもあります。 対馬丸記念館の展示を見ると分かるのですが、その時の子どもたちの持ち物は沈み、沖縄戦が家や学校を焼き払い、写真すら揃いません。 さらなる調査が進むことで、できれば引き上げの実現、あるいは遺骨の収集が望まれます。 22日で80年になります。
コメンテータープロフィール
早稲田大学法学部卒業後NHK入社 沖縄放送局で沖縄戦や基地問題のドキュメンタリーなどを制作。アジアセンター、報道局チーフプロデューサーをへて、「戦争証言プロジェクト」・「東日本大震災証言プロジェクト」編集責任者として番組とデジタルアーカイブを連携させる取り組みで、第37回、39回の放送文化基金賞受賞。その後、Yahoo!ニュースプロデューサーとして全国の戦争体験を収集する「未来に残す戦争の記憶」の制作にあたる。2023年から日本ファクトチェックセンター副編集長として、ファクトチェックとリテラシー教育に取り組む。立教大学大学院 特任教授 デジタルアーカイブ学会理事 及び 地域アーカイブ部会会長
関連リンク(外部サイト)