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「小さな恋のメロディ」の2人、50年経っても忘れえぬ撮影の日々、ビー・ジーズへの想いも…

斉藤博昭映画ジャーナリスト

11歳で結婚式を挙げ、トロッコに乗って旅立った2人は、どんな大人になったのかーー。

1971年の映画『小さな恋のメロディ』は、日本でも洋画の年間5位というヒットを記録。その後のTV放映、リバイバル上映でも熱狂的なファンを生み出し、主演のマーク・レスタートレイシー・ハイドは一時、トップアイドル的人気を誇った。特にマークは日本映画や日本のCMにも出演。この『メロディ』へのファンの愛は時が経っても醒めることはない。

そして公開から半世紀。マークとトレイシーが連れ立って来日した。5年前の2017年には東京コミコンにマークが単独で来たことはあったが、2人での来日は初めて。本来なら50周年で昨年(2021年)来る予定だったが、一年遅れで実現したのだ。

現在、マークは64歳で、トレイシーは63歳。しかし『小さな恋のメロディ』の面影は奇跡のようにそのまま残っている。彼らがその後もずっと連絡を取り合い続け、現在まで親友であることに『メロディ』のファンは、さらに胸が熱くなる。2人の絆はなぜ続いたのか。50年前の撮影の思い出とともに聞いていくことにした。

日本からの手紙は10年間、週に100通のペース

ーー共演から50年以上、なぜ現在まで友情が続いているのでしょうか。

マーク「トレイシーが素直な性格だったから、すぐに打ち解けられたのだと思います。撮影が3ヶ月間続いて仲良くなっていきました。『メロディ』が人気を得たことで思い出も深く刻まれ、友情が続いたのでしょう」

トレイシー「たとえば、ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』の子役たちの場合、その後も同じ業界で仕事をしてるので友情が続くのもわかります。でも私たちの場合は俳優の仕事を止めた後も仲が良くて、そこが特別みたいですね」

マーク「この友情はジャック(・ワイルド)にも感謝しなければいけません。彼は仕事の関係で、何度か僕の家の近くで暮らしたこともあり、つねに仲良くしていました。亡くなってから10年以上経ちますが、奥さんとは今も親しくしています」

トレイシー「私は別の作品(1982年の『Alice』)でもジャックと共演しました。2人ともメインの役ではなかったけど、1ヶ月間、ポーランドで撮影した思い出は今でも忘れられません」

ーー『小さな恋のメロディ』への日本からの反響を改めて振り返ってください。

マーク「公開から10年くらいは、だいたい週に100通くらいのペースで手紙が届きました。そして多くのプレゼントももらい、いくつかはまだ残っています」

トレイシー「私のお母さんは、日本のファンからもらった2つの日本人形を今も大切に飾っています

マーク「僕は整体クリニックを経営してるのですが、日本からのファンが何人もクリニックを訪ねて来ました。頻繁ではありませんが、今も年に数回は来ていますよ(笑)」

トレイシー「今でも誕生日のカードを送ってもらって、日本のファンには感動してます。私も家族と経営していたペットショップにファンが来たことがあって、犬のカットをしていて毛だらけの状態で挨拶したこともあります(笑)」

ーー本国のイギリス、あるいはアメリカではそれほど話題にならず、なぜ日本でここまで人気が出たと思いますか?

トレイシー「文化の違い、イギリスでの子供たちの生活が想像力を刺激したのかもしれません。イギリス人にとってはわりと日常風景が描かれていますから。そして何より、主演2人の魅力でしょうね(笑)」

マーク「たしかに(笑)。日本と同じくらい熱狂的だったのはアルゼンチンです。映画が作られたタイミング、あとは間違いなく音楽の魅力です」

『小さな恋のメロディ』など子役時代のマーク・レスター
『小さな恋のメロディ』など子役時代のマーク・レスター写真:Shutterstock/アフロ

現在のマーク・レスター
現在のマーク・レスター

天候待ちでカオスにもなった撮影現場

ーーでは撮影当時を振り返ってみてください。マークはオープニングから登場します。

マーク「僕が演じたダニー(ダニエル)がボーイズ・ブリゲイド(地域少年団)で行進するシーンですが、ロンドンの河岸での早朝での撮影で、最初は太陽が上がって青空でした。しかし途中で曇りになってしまい、4時間くらい座って待たされたんです。映画なので天候が変わったらマズいわけで、ようやく晴れて再開したものの、かなりカオスな状態でしたね」

ーートレイシーはどんな思い出が甦ってきますか?

トレイシー「私は初めての映画だったので、とにかくセリフを覚えるだけで必死。ただ監督(ワリス・フセイン)が自由に演じさせてくれた記憶があり、地元の学校から参加してくれたエキストラの人たちと仲良くなったり……。ビー・ジーズの『メロディ・フェア』が流れるシーンで、(私が演じた)メロディが金魚を放す道端の石は、大人になってから『まだ残ってる!』と見つけましたが、メロディが父を探すパブは現存してるのに通り過ぎてしまいました。何かの番組の企画で監督とロケ地巡りをしたんです」

マーク「あのあたり(ロンドンのランベス通り)は、ずいぶん街並みが変わったからね」

「メロディ・フェア」のシーンで、メロディが金魚を放した石は、このように残っている。(2018年/筆者撮影)
「メロディ・フェア」のシーンで、メロディが金魚を放した石は、このように残っている。(2018年/筆者撮影)

ーー撮影を通して最も楽しかった思い出は?

マーク「ロンドンでは珍しい快晴の日で、最高に楽しい撮影でした。僕らが実際に徒競走などをやって、それを監督があちこちの方向から自由に撮っていた印象です。その日は特別にアイスクリームも食べ放題でした(笑)。子供として遊んでいる感覚でしたね」

トレイシー「私がいちばん楽しかったのは、遊園地とビーチで撮影した数日間です」

マーク「僕らのお母さんも来てたよね? 一緒にビンゴをやったし、綿菓子を食べた」

トレイシー「その後、海岸で撮ったんですけど、まわりは一般の観光客でした。ちょっと寒かったんですよ。撮影のために太陽が出るのを待ちました」

マーク「そうそう。海の水が冷たかった」

主役なのに現場から「出て行け」と言われた!?

ーーラブストーリーという点で、『メロディ』の中で最も印象に残るのが墓地のシーンです。

マーク「墓地での撮影は、ちょっと怖かったですね。幸い日中だったので、その怖さは和らぎましたが。でもあのシーンのあたりでは僕らは本当に仲良くなっていて、ふざけたり、余計なおしゃべりをしたりして、とにかく笑っていたのを覚えています」

ーーバレエの授業を受けるメロディを、ダニーが覗き見るシーンもロマンチックです。

トレイシー「私はダンスの経験が少なかったのですが、あのシーンで他の女の子たちは舞台などで踊った経験があり、私が後ろの方で合わせて踊ってたら、教師の人から『未経験の人は出てって!』と怒られてしまって(笑)。監督たちが慌てて『この子は出演しなきゃいけない』と説明してくれました」

マーク「(爆笑)」

ーー撮影現場にビー・ジーズも来たそうですね。

マーク「運動会のシーンで、兄弟全員で見学に来ていました。撮影の邪魔にならないよう、カメラの向こう側で静かに見守っていましたね」

トレイシー「私は当時11歳だったけれど、彼らの存在は知っていたと思います。でも実際に彼らの偉大さに触れたのはその後で、『サタデー・ナイト・フィーバー』とともに私も大人へ成長したんです。あの当時、酔っ払ってディスコで踊ってましたから(笑)」

マーク「ある意味、彼らがスーパースターになる前に、僕らは『メロディ』でその才能を感じられたわけで、ちょっとした特権でしたね」

トレイシー「何かのインタビューでビー・ジーズが私への愛を語ってくれていて、それが20代の私の拠り所にもなりました」

『小さな恋のメロディ』の曲では「若葉のころ」が一番好きというトレイシー・ハイド
『小さな恋のメロディ』の曲では「若葉のころ」が一番好きというトレイシー・ハイド

マーク・レスターとトレイシー・ハイドは日本滞在をゆったりした日程で楽しみ、帰国の途についた。そして、これは偶然のタイミングではあるが、ビー・ジーズのドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』が間もなく日本で公開される。

日本の同名TVドラマの主題歌にもなった「若葉のころ」や、「メロディ・フェア」、「ラブ・サムバディ」、「イン・ザ・モーニング」、「ギブ・ユア・ベスト」……。これらビー・ジーズの挿入曲とともに、この50年の間、『小さな恋のメロディ』に心ときめいた人は、ビー・ジーズの歴史を振り返ることで、さらに感慨がひとしおになるはずだ。

『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』より (c)  2020 Polygram Entertainment, LLC – All Rights Reserved.
『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』より (c) 2020 Polygram Entertainment, LLC – All Rights Reserved.

『ビー・ジーズ 栄光の軌跡』 

11/25(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほかにて公開

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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