「間」を学ぶ重要性 他者や環境との関係性の中で生きているからこそ知っておきたい概念
物語が生まれる時、作家の頭で起きていることは何か?
それは、具体と抽象の行き来だ。
編集者とは、その具体と抽象の行き来をサポートする仕事だ。
特に新人作家の場合、自分の個人的な体験を描いたエッセイ風のものだったり、個別のエピソードをつなぎ合わせただけだったりと、具体だけで物語をつくることがある。しかし抽象化を経ていない表現は、普遍性が浅いためなくなりやすい。だから、どうすればそこに普遍的なテーマとの接点を作ることができるかを、編集者であるぼくは意識する。
キャラクターもまた、多くの人がもつ具体的な特徴を抽象化し、ひとりの人間に仮託されたものだ。抽象化ができているキャラクターは「どのように振る舞うのか」と、読者が次の具体を予想できる。
抽象化を挟むからこそ、キャラクターの具体的行動が普遍性を持つ。具体を抽象化し、抽象を再度具体化している様子は、はたから見るとただの雑談に見えるかもしれない。しかし、違うテーマに会話をズラすのと、抽象度をズラすのは、似ているけど、打ち合わせの終着点は全く違う。
では、どうすれば具体と抽象を行き来する力を身につけられるのか?
この言語化は、すごく難しい。「具体と抽象の行き来が大事だ」と、ぼくは新人作家や会社のメンバーによく話しているけど、「では、どうすれば抽象と具体を行き来できるようになるか?」と聞かれると、うまく答えることができなかった。
だが、具体と抽象を紐解くために重要と思える概念のひとつと出会った。
それが”AIDA(あいだ)”だ。
人と人。物と物。人と物。人と事。間(AIDA)を見ようとすると、俯瞰をしないといけない。自然と抽象度があがる。何との間を考えるのかにもよって、さらに抽象度を上げることもできる。
この気づきを得たのは、編集工学者として知られる松岡正剛さんが主催する塾名からだった。
抽象と具体を行き来する鍵となる概念・間(AIDA)
松岡正剛さんは、社会や時代や文化といった古代から現代まで続くあらゆる情報を編集している。
ぼくは編集者として20年近く働くなかで、「自分が考えている編集とは狭義なのではないか」と感じることがあった。だから編集というものを改めて学び直したいと考えた時、松岡さんの考えを知ることが、自分の道標になるかもしれないと考え、この1年くらいは様々な著書を読んでいた。
そうして松岡正剛さんの本を読むうちに、松岡さんの考える編集とは何かをもっと深く理解したいと思い、松岡さんが主催する塾に申し込んだ。
その塾名が「AIDA(あいだ)」。
ぼくは第2期のメンバーとして、去年10月から今年3月までの6ヶ月間参加しているのだが、この第2期のテーマは「メディアと市場のAIDA」。ちなみに第1期のテーマは「生命と文明のAIDA」だ。
塾名をみても、テーマ名をみても、松岡さんが"AIDA(あいだ)"という概念をものすごく大切に捉えていることがわかる。
初めて塾名を聞いた時には、ずいぶんぼんやりした概念を塾名にしていると思った。その後、「なぜ、この名前にしたのだろう?」とずっと考えていた。そして、実は、すごい概念だと気づいた。
これこそ、ぼくが長年考えてきた抽象と具体を行き来する鍵となる概念なのではないか。見ているものをメタ認知するには、間をみようとすればいいのではないか。
人間という言葉もどうやって生まれたのか。人だけを見ていても、人は理解できない。人と間、両方を見なくては、理解が始まらない。間という見えないものをみようとすることから具体と抽象の行き来が始まる。
ぼくは自著の『観察力の鍛え方』という本で、“関係性こそが人間の本質であり、確固たる個性など存在しない”と書いた。人間は単独で個人として存在しているのではなく、周りを取り囲む他者や環境との関係性の中で生きている。
間を考えることは、関係性を考えることでもある。
松岡さんが主催する「AIDA(あいだ)」の受講期間も残り少なくなってきたが、ぼくの間を観察する力は、最終的にどれぐらいあがるのだろうか。
それが今、ものすごく楽しみだ。
(筆者noteより加筆・修正のうえ転載)