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後進を育てる「薫育」とは 技術ではなく、技能を熟達させた先にあるもの

佐渡島庸平コルク代表
(写真:アフロ)

「編集者を育てるには、薫育(くんいく)しかないんだよ」

最近、マンガ編集者として、そして経営者として、大先輩である堀江信彦さんがよく話されていた、この言葉についてよく考えている。

堀江さんは、『北斗の拳』や『シティーハンター』などを担当し、ジャンプが歴代最高部数を記録した時代に編集長を務めたマンガ編集者だ。集英社を退社された後も、コアミックスを起業した。まさに編集者をライフワークとしている人だ。

マンガについて毎晩語り合い、多くの時間を供に過ごしていくなかで、編集者としての薫りが自然と移っていく。そんな風にしか編集者は育てられないから、「薫育」というらしい。

何かを極めようとする時、「技術」と「技能」が存在する。そして、技術は人間の「外」にあり、技能は人間の「内」なるものとされている。

技術は誰でも使用できるように、体系化されたものとなっているため、流通が容易い。資格試験で教えられる内容や、ビジネス本やハウツー動画で語られる内容は、全て「技術」を伝えるものだ。言葉に置き換えて、第三者に体系的に伝えられる段階で、それは技術に昇華されている。

一方、熟達者は、本人も周りも言語化できない「特別な何か」を身に纏っている。それを得たいと思ったら、本人と長い時間を供に過ごして、探っていくしかない。その特別な何かが「技能」と呼ばれるものだ。

編集者を育てたいなら、編集の「技術」を教えるだけでなく、編集者としての「技能」も伝承せよ。「編集者は、薫育だ」という言葉を、ぼくはこう解釈している。

ここ数年、ぼくは自身が主催する『コルクラボマンガ専科』といった講座活動などを通じて、知識の体系化を進めていきた。つまり、自分の持っている「技術」の棚卸しを進めてきた。

一方、自分の内にある「技能」とは何かと問われると、答えるのが難しい。

言語化できないのが技能なので、当然と言えば当然だが、その片鱗すら見出せていない。完全に暗中模索といった状況だが、この「技能」について深く考えることこそ、ぼくが次にやるべきことだと感じている。

先日、野村幸正さんが書かれた『教えない教育―徒弟教育から学びのあり方を考える』(二瓶社)という本を読んだのだが、興味深いことが書いてあった。

ぼくは、その世界の道を極めていく人は、最終的に孤独になると思っていた。その世界への解像度が研ぎ澄まされていくと、同じ解像度でものを見れる人がいなくなるため、孤高の存在となり、孤独を感じるのではないかと思っていたのだ。

だが、この本では、孤独ではないと書いてある。熟達した人は、誰とコミュニケーションするのか。

それは過去の時代の熟達者たちだ。

先人たちが残したものに潜んでいるメッセージに気づけるようになるので、孤独を感じることはない。熟達した人間同士にしかできないコミュニケーションが、そこにはあるのだ。

では、編集者としての「技能」を高めていくと、どの時代の誰と繋がるのか。その答えに、ものすごく興味がある。そして、それは編集というものを、より広義に考えていくことにもつながる。

孔子は『論語』で、40歳にして、あれこれと迷わずに自由に物事を見ることが出来る「不惑」になり、50歳にして「天命」を知ったと言っている。

この孔子が言う「天命を知る」とは、自分の技能を知り、それを熟達させ、過去の熟達者たちからのメッセージを受け取ることではないか。

ぼくは現在42歳なので、残りの8年で、その境地に達したい。技能について考えるなかで、そんな風に年を取ればいいんだとイメージが湧いてきた。

(筆者noteより加筆・修正のうえ転載)

コルク代表

コルク代表・佐渡島が、「コンテンツのDJ」として自分の好きを届けていきます。 / 2002年講談社入社。週刊モーニング編集部にて、『ドラゴン桜』(三田紀房)、『働きマン』(安野モヨコ)、『宇宙兄弟』(小山宙哉)などの編集を担当する。2012年講談社退社後、クリエイターのエージェント会社、コルクを創業。著名作家陣とエージェント契約を結び、作品編集、著作権管理、ファンコミュニティ形成・運営などを行う。従来の出版流通の形の先にあるインターネット時代のエンターテイメントのモデル構築を目指している。

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