逃げる逃げる安倍政権
臨時国会召集日に安倍総理が自民党の両院議員総会で「正面から堂々と論戦したい」と発言したのを聞いて驚いた。この政権はこれまで一度も正面から堂々と論戦を行った事がないからである。
最大の事例は集団的自衛権の行使容認を閣議決定しながら、立法作業を先送りし、来年の通常国会の終盤でほんのちょっと議論して決めてしまうスケジュールを描いている事だ。憲法の基本にかかわる問題を「正面から堂々と議論」しない姿勢がこれほど明らかな例はない。こんな事例は世界でも日本だけではないか。
どの国でも国家の基本に関わる問題を変更するには最低2年ぐらいの時間をかけて議論する。それぐらい時間を掛けなければ将来に禍根を残す恐れがあり、国民が納得しないままでは、政治が不安定化する事にもなる。ところが安倍政権にはそうした事を考える姿勢が全く見られない。
見えてくるのは支持率だけを気にするポピュリズム政治である。安倍総理は発足時にアベノミクスの「三本の矢」を大々的に宣伝したが、「三本目の矢は見当たらない」というのが世界の評価である。「三本の矢」は三本が束にならなければ意味がない。三本目の矢のないアベノミクスが日本経済をいびつなものにするのは自明である。
にもかかわらず安倍総理は都合の良い数字だけをあげつらね、先に期待を持たせようとする。今が駄目でも先に行けば良くなる。鼻先にぶら下げられたニンジンを見て馬が走らされる光景を思い出す。
集団的自衛権の行使容認で支持率が落ちると、それを「堂々と議論する」事をやめ、安倍政権はニンジンを他の問題にすり替えてすぐ逃げた。そして出てきたのが「地方創生」と「女性が輝く社会」である。
二つとも重要な政策課題ではあるが、これには自民党が地方と女性に人気がないという「お家の事情」がある。地方と女性の支持率を上げないと先行きの選挙が危ういとの危機感がこの二つをニンジンにさせた。
それらが選挙目当てであったとしても中身があればそれはそれで納得できる。しかし「地方創生」も「女性の輝く社会」も今の段階ではさっぱりピンとこない。言葉ヅラだけが踊っている感じがする。
安倍総理は所信表明演説で「地方創生」は地方に若者の雇用を生み出す事がカギになると言った。しかし地方の問題を中央が考え、中央から指示が下る構造を変え、地方が独自に再生する道を探し当てなければ意味がない。重要な事は中央から権限と財源を移譲する事である。しかし安倍政権はそうした根本問題ではなく、一部の地方の若者が活躍する様子をメディアに報道させ、それをもって「改革が進んだ」と宣伝する事を狙っているように見える。
消費増税を行う前に、政府が賃上げに力を入れ、それによって次々に企業が賃上げを決めたように報道させたが、ニュースになるのは余裕のある企業ばかりである。それが本当に日本全体の賃上げになったかと言えばそうではない。実質賃金は上がらず、正規と非正規の賃金格差も拡大された。しかしニュースでは安倍総理が「所得倍増」を唱えた池田勇人元総理と同じイメージに扱われた。メディア戦略としてのパフォーマンスが先行する。それが安倍政権の一大特徴である。
「女性が輝く社会」というのもパフォーマンスにはうってつけである。それを盛り上げるため安倍政権は内閣改造で5人の女性閣僚を登用し、IMF専務理事など世界で活躍する女性を東京に招いて国際シンポジウムを行った。
テレビ界では「強い女性」が視聴率を上げると考えられている。並み居る男をばっさり切り捨てる女性には女性のみならず男性からも喝采が送られる。安倍政権はそうした事を強く意識しているように見える。しかしそうしたパフォーマンスが女性全体の幸せを生み出す政策につながるかと言えば大いに疑問が湧く。
私は安倍政権の女性重視のパフォーマンスは「従軍慰安婦」の問題と無縁でないと思う。「従軍慰安婦」は韓国との問題というより、アメリカなどから女性の人権問題と見られており、「河野談話」の見直しを図ろうとした安倍政権に対する風当たりは強い。その批判をかわすためのパフォーマンスとして女性重視政策を掲げているように見える。
とにかく問題の核心を巡って議論をし、様々な角度から分析した上で、調和のとれた考え方を導くという政治の手法ではなく、問題の核心から離れた周辺部分でメディアが飛びつく要素を抽出し、それを大々的に宣伝する事で国民に「何かをやった」と錯覚させるのが安倍政権の政治スタイルである。
そして問題の核心は先へ先へと先送りされる。国会では決して質問に直接的な答弁をせず、用意された答弁を、それが答弁になっていなくとも繰り返して時間を稼ぐ。安倍政権が誕生して以来、そうした国会ばかりを見させられ続けてきた。この臨時国会もそうなるのではないかと始まる前から危惧が先に立つ。そして核心から逃げる政治は将来にツケを回す事になるのである。