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マドンナが60歳に。常に時代の先を行く、究極にかっこいい女性

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
今年5月のMETガラに出席した時のマドンナ(写真:Shutterstock/アフロ)

 マテリアル・ガールが、還暦を迎える。信じがたいが、時の流れは早いものだ。

 マドンナの誕生日は、1958年8月16日。“ヴァージンのように”と歌い、踊っていた彼女は、アメリカ時間16日で、60歳になるのである。人生の大きな節目を迎えるのは本人にとってもさすがに感慨深いようで、マドンナは、数日前から、ツイッターに「あと3日」「あと1日」など、カウントダウンの投稿をしてきた。誕生日はモロッコで過ごすらしく、最新の投稿には「#Marakesh」のハッシュタグもついている。毎年、オスカーの夜にはL.A.の自宅にセレブ友達を呼び、派手なパーティをすることで有名な彼女が、この特別のイベントに誰を招待するのかは、今のところわかっていない。

 いかにも芸名っぽく聞こえるが、マドンナというのは本名。母も同じ名だ。デトロイトの郊外で育ち、ダンスの奨学金でミシガン大学音楽学部に入学するも中退、プロを目指してニューヨークに移住した。シングルデビューを果たしたのは、1982年。翌年にはデビューアルバム「Madonna」が発売され、次の「Like a Virgin」は、女性アーティストがアメリカで500万枚以上を売り上げた史上初のアルバムとなる。

 1998年の「Ray of Light」はポップアルバム部門、2005年の「Confessions on a Dance Floor」はダンスアルバム部門でグラミー賞を受賞。ほかにも数々の記録でギネスブックにも掲載されている彼女は、名実ともに音楽界のトップスターだ。映画のキャリアにも野心的で、歌手デビューとほぼ同じ頃から映画に出演してきたのだが、こちらのほうは望むような結果を生むことができていない。1992年には「プリティ・リーグ」でトム・ハンクスやジーナ・デイヴィスと共演、1996年には歌唱力を活かすべくミュージカル「エビータ」に主演するなどしたが、彼女の演技力自体が評価されたことはほとんどなく、最悪の映画や演技に贈られるラジー賞を9個も受賞することになっている。監督業にしても同じで、彼女が監督した2008年の「ワンダーラスト」はrottentomatoes.comで24%、3年後の「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」は13%と、いずれもこっぴどく叩かれた。

 しかし、打たれてもひるまないのがマドンナ。人にどう言われるかを気にせず、常に自分の直感を信じて行動する彼女は、常に世の中の先を行き、トレンドを作ってきたのだ。今、振り返ってみると、あらためて感心させられることばかりである。

男に媚びず、性を武器に。自分の体を自分でコントロールする

「#MeToo」のハッシュタグより前に、いや、ハッシュタグというものが存在する前から、マドンナは自分が受けたレイプ被害について、公に語っている。19歳の時に起きたその事件について彼女が初めて触れたのは、90年代半ばのこと。2013年に米国版「Harper’s Bazaar」へ寄稿したエッセイでも、その体験について書いた。

 そんな苦しみがあっても、彼女は自分のセクシュアリティを恐れることなく、正面から向かい合い、むしろそれを売りにしてきている。1992年にリリースされた彼女のアルバム「Erotica」と、1日違いで発売された写真集「Sex」は、何よりの象徴だ。

 SMも含む過激な写真の数々が掲載されているとして話題を呼んだこの本は、アメリカだけで発売初日に15万部、1週間で50万部を売り上げる大ヒットとなった(日本では修正版が発売され、輸入版は販売が禁止されている)。論議を呼んだのは言うまでもなく、当時は批評家からもフェミニストからもバッシングを受けている。だが、女性が自分の意志で自らの体を使って芸術表現をしたことには意味があったし、文化史に何かを刻んだことは、否定できない事実だ。本の中にレズビアンのセックスシーンがあったことなどが、今になってLGBT的観点から評価されたりもしている。

 そもそも、彼女のセクシュアリティは、決して男に媚びるものではなく、常にエンパワメントだった。それは鍛えられた肉体美にも通じることだ。80年代や90年代、日本でもマドンナの歌は大ヒットしたものの、完璧な筋肉を誇る彼女の体を見て、本気で「セクシーだ」と思った日本人男性も、「ああなりたい」と憧れた日本人女性も、当時はあまりいなかった。今ようやく、日本でもジム通いで体を鍛える女性が増えているが、マドンナは、30年も前にお手本を示してくれていたのである。

彼女がやることはなんでも流行る

 だが、その頃から、アメリカの女性の間では、マドンナはどうやってあの体を手に入れているのかに注目が集まってきた。いや、それを気にするのは、一般人女性よりもむしろセレブやメディアの女性で、そこからたびたび新しいトレンドが生まれていたのである。たとえば90年代初めにマドンナが「ワークアウトはヨガしかしない」とインタビューで言った後にはヨガブームに本格的な火がついた。マクロバイオティックという言葉を知ったのもマドンナがきっかけだったという人も、アメリカには多い。

 彼女がカバラの信者になった時には、この宗教の知名度が、突然にして高まっている。赤いブレスレットがちょっとしたファッションアイテムになったのは、本気でカバラを信じるマドンナと、信者仲間のデミ・ムーアにとって、やや腹立たしいことでもあったようだ。筆者との2003年のインタビューでも、彼女は、「パリス・ヒルトンやブリトニー・スピアーズが信者だと書かれたりしているけれど、彼女らがクラスに来たのは1回だけよ。それで勉強したことにはならないの。赤いブレスレットは、おしゃれのためにあるわけじゃない」とはっきり述べている。

 ところで、このインタビューはロンドンで行われたのだが、それは当時彼女がイギリス人映画監督ガイ・リッチーと結婚していて、ロンドンに住んでいたためだ(余談だが、その頃、マドンナはイギリス英語を話すようになり、アメリカのメディアからずいぶんジョークのネタにされている)。リッチーとの間には息子ロッコ君が生まれたが、彼女の6人の子供のうち、夫との間に生まれたのは、この子だけである。それもまた、ある意味、女性の生き方についての選択肢を示すことになったと言っていい。

 長女ローデスちゃんの父親は、彼女のパーソナルトレーナーだったカルロス・レオンだ。結婚するつもりはないが、彼との子供を希望した彼女は、シングルマザーとしてこの子を授かり、その事実を公言した。次の子がロッコ君で、その後の4人はすべてマラウィからの養子である。それもまたいかにも彼女。多くの人は、それまでマラウィという地名すらほとんど聞いたことがなかったのに、彼女のおかげで一気に知れ渡ることになったのだ。

 マラウィでの養子縁組は難しいにも関わらず、マドンナがセレブパワーを使って次男デビッド君を強引に受け入れた時には、批判も出た。やはり第三諸国から養子をもらい受けているアンジェリーナ・ジョリーですら、当時は微妙に批判らしきコメントをしている。

 だが、その後もマドンナはさらに3人の女の子をマラウィから引き取った。カバラの勉強も、まだまじめに続けているようだ。ヨガは前のような熱心さではやっていないが、別のワークアウトで体を鍛え続けていることは、見れば明らかである。

 その間、リッチーとはうまくいかず離婚。リッチーが再婚するのを傍目で見つつ、彼女は若いボーイフレンドを拾い、遊んでは別れた。一緒にいる男が誰であれ、彼女自身は変わらない。それは、昔も、今もだ。だから、マドンナはかっこいいのである。60代になっても、彼女はきっと私たちをいろいろな形であっと言わせ続けてくれることだろう。それがどんなことなのか、今からわくわくしてしまう。この素敵な女性に、心から、バースデーの祝福を贈りたい。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「シュプール」「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

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