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煩音から不寛容騒音へ、そして危険な被害妄騒音まで、トラブルへの対処と解決はその特徴を知ることから

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

騒音から煩音、そして不寛容騒音へ

 煩音(はんおん)という言葉を初めて使ったのは、弊著「近所がうるさい! 騒音トラブルの恐怖」(ベスト新書)の中であり、平成18年のことでした。騒音トラブルや近隣トラブルを扱う中で、騒音という用語だけでは説明しにくい状況を端的に表せる用語の必要性を感じて考えたものでした。この煩音という用語は、朝日新聞の「天声人語」を始めとして様々な場所で取り上げられ、今は大辞泉などのデジタル辞書にも収録されており、社会的にもある程度認知されています。改めて騒音と煩音の意味を示すと、騒音とは、「音が大きくて、耳で聞いてうるさく感じる音」、煩音とは、「音はさほど大きくなくても、相手との人間関係や自分の心理状態でうるさく感じてしまう音」のことであり、現代の騒音トラブルの原因の殆どが煩音問題であるといえます。

 騒音問題から煩音問題へ、この変化が明らかとなってきたのは概ね平成10年頃であり、その変化の傾向は、近所付き合いのない人の比率が急激に増え始めた時期と極めてよく対応することが、統計などで確認されています(弊著「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)など参照)。音の大きさではなく、人間関係の希薄化や個人の不安心理などが騒音トラブルの主な原因となる時代へと変化したのです。

煩音問題の解決の基本は、誠意ある対応による相手との関係の改善であり、防音対策ではないことは、しっかりと理解しておく必要があります。

 しかし、その煩音問題に微妙な変化を感じさせる傾向が新たに現れてきています。例えば、年末に必ず問題となる除夜の鐘に対する騒音問題などです。昨年の12月31日の毎日新聞の記事でも大きく取り上げられましたが、そこには「除夜の鐘「うるさい」、盆踊りも風当り強く」の見出しがつけられ、デジタル版ではそこに「〝不寛容騒音〟問題」の見出しがつけられています。この〝不寛容騒音〟も筆者の造語ですが、毎日新聞の記事を引用すれば「以前は自分の心理状態が悪い時に音をうるさいと感じる煩音(はんおん)が問題となったが、最近は自分の境遇に対する不満などから、どんな音も認めない『不寛容騒音』の問題が増えている」と筆者の発言として書かれています。単なる煩音問題ではなく、自分の置かれている不遇な状況などへのフラストレーションから、何でもうるさいと感じて相手かまわず苦情を言い募る不寛容騒音の時代を迎えているといえるのです。

 不寛容騒音の対象は、除夜の鐘や盆踊りだけではありません。花火やラジオ体操、音響信号機なども対象であり、カエルの声がうるさいので何とかしろと役所に苦情が寄せられることもあります。今まで自然の音や伝統的な音として普通に問題なく受け入れられてきた音に対する苦情ですが、そこには一つの特徴があります。それは、苦情を言っても自分に不利益が生じない相手が対象になっていて、そのため公的な機関などに訴えるケースが多いのです。すなわち、一方的に言いたいことを言える場所や相手を選び、話し合いをして問題を解決しようという姿勢は全く見られないということです。言わば、憂さ晴らしの騒音苦情という性格がみられます。

 このような不寛容騒音の特徴から適正に対応すれば実害は少なく、拗れて裁判に発展したり、事件につながることは殆どないのですが、問題なのは、これらの苦情に安易に対応して、イベントや伝統行事などを中止したり廃止したりする傾向が社会的に拡がる事です。その風潮が社会的に拡がれば、騒音問題の姿が変質して、社会に不可欠な音まで駆逐される危険性があり、その一例として既往記事「〝命の音が聞こえない!〟とは。騒音苦情への対応姿勢を考える」で視覚障碍者のための音問題について紹介しています。

不寛容騒音に関しては、対応するより放置する方が社会的にはメリットがあることも考慮の一つとして押さえておくことが必要です。

うるささを迷惑行為と誤解する被害妄騒音

 不寛容騒音とよく似た問題として「被害妄騒音」がありますが、こちらは全く質の異なる問題です。この用語も「被害妄想」と「騒音」を掛け合わせた筆者の造語ですが、実際に迷惑行為が行われているわけでもないのに、単に自分がうるさいと感じただけで騒音による被害を受けていると感じて苦情を言い募ることです。不寛容騒音と似た内容ですが、そこには決定的な違いがあります。

 迷惑とは、迷惑と思わなければ迷惑になりませんが、迷惑だと思うと迷惑になります。当たり前のようですが、これは大事な点なのです。日本では、ベビーカーをそのままバスなどに載せると〝迷惑だと感じる〟人がいるかもしれませんが、それが〝迷惑行為〟かどうかは別物です。外国では、自転車をそのまま地下鉄に乗せることができますが、誰も迷惑行為だとは思っていません。自分が迷惑(音で言えば〝うるさい〟)と感じる行為と迷惑行為とは違うものなのですが、この取り違いこそが被害妄騒音なのです。

 身近な例で言えば、上階から響いてくる足音などの問題(専門用語で床衝撃音問題)です。既往記事で幾つか示したように、現在のマンションでの上階音遮断性能は、決して満足のいくものではありません。設計目標値としている建築学会適用等級の1級(遮音等級でLH-50)の性能をもつマンションでも、上階からの足音などは全く聞こえない訳ではなく、小さく聞こえる程度の性能なのです。したがって、上階の住人は通常の生活をしているだけであっても、下の階の住人によっては苦情が発生する可能性はあるのです。

 苦情が発生した状況で、上階の住人が何らかの誠意ある対応を通して相手との関係改善を計り、それを下階の住人が評価をし、現在のマンションの上階音性能はこの程度であり、決して迷惑行為を行っているのではないということを納得できればトラブルに発達することはないのですが、なかなかそうはいかないのが現実です。苦情を受けた上階の住人は市販の防音マットを敷いたりはしますが、苦情を受けたという被害者意識が先立ち、相手とはなるべく接触しないように行動してしまいます。防音マットは足音などの防止効果は殆どないため、下の階の住人は注意をしたにも拘わらず何の改善もないと、こちらも被害者意識と怒りを膨らませることになるのです。

 上階から音が響いてくることは事実なのですが、これをうるさく感じて苦情をいうのは煩音問題の範疇なのですが、建物性能が悪く通常の生活でも多少音が響いてくるのを、相手が何の配慮もなく迷惑行為を行っていると捉える場合には被害妄騒音となり、苦情の度合いも強くなり、時にはトラブルがエスカレートしてゆきます。上階音トラブルの多くの場合、過剰な苦情こそが迷惑行為なのですが(既往記事「マンション下階からの過剰な騒音苦情は迷惑行為  「苦情社会」では対処も必要」参照)、このような苦情者の特徴は、どんなに客観的に説明しても決して被害妄騒音を認めないことであり、相手の迷惑行為を確信していることです。逆に言えば、そのような人が被害妄騒音を感じやすいということになります。

被害妄騒音が生む悲惨な事件

 迷惑行為だと思い込んでいる場合はまだよいのですが、これを相手が自分を攻撃していると捉えてしまうと、時には悲惨な事件も発生してきます。今から3年前に大阪府大東市のマンションで発生した女子大学生殺害事件(既往記事「鉄骨造マンションで起きた悲惨な女子大生殺害事件、鉄筋コンクリート造とは違う上階音性能に要注意」参照)も被害妄騒音が生んだ悲劇だと推察されます。

 マンション3階に住む大学4年の女子大生(21)が、直下の2階に住んでいた会社員の男(48)に自宅の部屋で刺し殺された事件ですが、犯人は、犯行直後に自宅に戻って自ら部屋に火を付けて急性一酸化中毒で死亡したため、明確な動機は不明とされています。しかし、その建物が鉄骨ALC造の構造であることを考えると、上階音に対する被害妄騒音が原因である可能性が極めて高いといえます。この構造の建物、特に古い建物での上階音遮断性能は大変に悪く、音に注意して生活していても下階から苦情が来るようなレベルのものです。建物自体が、鉄筋コンクリート造の建物とは異なり大幅に性能の悪いものだということを認識せずに、日常的に発生する上階からの騒音を、何らかの切っ掛けで相手からの攻撃や嫌がらせと妄想してしまえば、極めて危険な状況が出現してくることになります。

 このような被害妄想音による騒音事件は他にも多く見られます。10年ほど前に大阪府の豊中市で発生した妊娠中の主婦が、同じ階に住む男にマンション通路で刺殺された事件では、1歳7か月の子どもの目の前で行われた犯行であったため、テレビや新聞でも大きく取り上げられました。これも被害妄騒音による事件と考えてよいといえます。この場合には、上下階の関係ではなく、同一階の住人に対する犯行でしたが、犯人は事件発生直後に、女性の子どもに自宅の扉を叩かれたことがあると供述したほか、「いろんな人から嫌がらせを受けていた。監視されたり、ストーカーされたりして我慢できなかった。6階の住人は全員がグルになり、自分を監視していた」などと供述していることがその後に報道されました。

 騒音事件の草分けとなったピアノ殺人事件も被害妄騒音の典型です。ピアノ殺人事件とは、昭和49年に神奈川県平塚市の県営住宅で発生した母娘3人の刺殺事件です。このピアノ殺人事件の犯人は、控訴審の精神鑑定でパラノイアと診断されています。日本語では、妄想病、偏執病と訳されている精神障害であり、これは、妄想に囚われていること以外は特に異常が認められないという特徴を持っています。また、妄想についても、決して支離滅裂なものではなく、それなりに筋の通った内容となっているということです。一口で言えば、普通の人となかなか区別がつかないということであり、パラノイド(パラノイアの患者)の典型があのヒトラーであるとも言われています。この事件の犯人の場合も、裁判となったために精神鑑定が行われましたが、そうでなければ、パラノイアとは誰も気づかず、単なる「変人」で終わっていたことでしょう。

 このピアノ殺人事件の犯人は、階下の亭主が自分を狙っており、ピアノ騒音もその厭がらせのひとつだと妄想を膨らませていました。相手の攻撃に備えて護身用のナイフを持ち歩き、部屋には手製の槍を備えていたといいます。裁判ではこの障害が酌量される前に、控訴取り下げという形で裁判は終了し、死刑が確定してしまいましたが、被害妄騒音が重大な事件を引き起こす一つの原因になっていたことは間違いないでしょう。

 被害妄騒音による事件の特徴は、騒音が外界との唯一のつながりであり、その騒音を辿って事件が発生してくることが多いことです。犯人にとって憎悪の対象は何でも良かったのでしょうが、集合住宅で閉鎖的な生活をしている場合には、上階から響いてくる足音だったり、階下から聞こえるピアノの音などが対象となってくるのです。

騒音か煩音か、不寛容騒音か被害妄騒音かを見極める

 重要なことは、このような隣人に対してどのように備えるかということですが、これは極めて難しい問題です。入居時や住宅購入時に、近隣でよくヒアリングを行うくらいしか対処の方法がないというのが現状でしょうが、それが確実な方法だとはとても言えません。普段からよい近隣関係を築いておくというのは良い方法だといえますが、これもトラブル防止には限界があります。トラブルはいつ発生するか分かりませんが、少なくとも、騒音苦情が発生した時に、それが騒音問題か煩音問題か、あるいは単なる不寛容騒音か深刻な被害妄騒音か、これらをよく見極めて対応することが必須の条件であることは理解しておく必要があります。

そして時には、トラブルからの〝飛び去り〟の選択も必要になります。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。我が国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。

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