「食べ物捨てるの日常化」過剰出店と右肩上がり、箱だけ作り魂ない大手に忖度し誰も言わないバイトテロ問題
バイトテロは「箱だけ増やし魂入れず」の自業自得
なぜ皆、判で押したように、バイトテロの要因を「慢性的な人手不足」や「低時給」や「モラルの問題」や「ITリテラシーの不足」と言うのか。
バイトテロが起きている企業は、どこも、食べ物を当たり前のように捨てることが常態化している企業ではないのか?だから、食べ物を床やごみ箱にわざと落としたり、口に一度入れたのを吐き出したりできるのではないか。
何しろ、その企業では、食べ物は毎日「ごみ」になるから。食べ物、イコール、ごみ。
これまで「食べ物を毎日捨てるのが嫌だから飲食業のバイトを辞めた」と言う人に何人も会った。「もう耐えられない」という人もいれば、「慣れちゃった」という人もいる。
ある大手コンビニでは、1店舗の売上が上がってきたら、そのすぐ近くに「ドミナント」する(同じ企業の店舗を出店する)。それで、既存店舗の売上が激減しようが、働くバイトが新店舗に取られて居なくなろうが、そんなの知ったことではない。
配偶者が亡くなり、経営者が一人残された苦しい状況だろうが、人の命や健康より24時間営業を守る方が大事だから、辞めさせない。
店舗数は毎年増やす。
当然、働く人は「質より量」となる。
食べ物も、そこで働く人も、その先どうなろうが、知ったこっちゃない。
とにかく、自分がいる今さえよければいい。売上さえ上がればいい。食べ物を資源として大事にすることより、永遠の右肩上がりの売上を達成することの方が大事。
「人手不足」も「低い時給」も、それによって起こる「バイトテロ」も、過剰に出店して「箱(店)」だけを大量に作り、そこに魂を入れず、売上の数字だけを見てきた大手企業らの自業自得ではないのか。
同じ飲食店でもバイトテロなど起こり得ない店の特徴とは
寿司職人の天野功さんは、納得いかない寿司にはお金をもらわない。そんなシーンが2019年2月11日に放映されたNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介されていた。
天野功さんは
といった趣旨を話していた。
佰食屋の中村朱美さんは、飲食店の経営者だが、食べ物は、ほとんど捨てない。冷凍庫もない。雇用する人は、70代の方、障害のある方、家族の介護をする方、ひとり親家庭の親御さんなど様々だ。
中村さんは、
といったことを話していた。
同じ飲食店でも、天野さんや中村さんのお店では、バイトテロのようなことなど、起こり得ないだろう。
「箱だけ作って魂入れず」の大手の一部の店と違い、そこには経営者の魂が込められているからだ。
食べ物を捨てない。
出店し過ぎない。
ドミナント(高密度多店舗出店)なんてしない。
「営業すればするほど儲かるから」といって、やたらと営業時間を長くする強欲さもない。
右肩上がりの目標も立てない。
食べるお客さまの喜ぶ顔が見たい。
これこそが、バイトテロのないお店づくりの本質だろう。
バイトテロを議論する人は、なぜ、そこに触れないのか?
なぜ、慢性的な人手不足の背景にある、一部大手企業の「過剰出店」や「永遠の右肩上がりの目標」の過ちを指摘しないのか。
なぜITリテラシーや「モラルの不足ですね」で話を終わらせるのか。一部のマスメディアもそうだ。
大手企業に忖度(そんたく)しているのか?
出口治明さんは「おかしいことには声を上げていかないとよくならない」
立命館アジア太平洋大学(APU)学長の出口治明さんは、社会人向けの出口塾で
と話した。全6回の講義で、毎回、「社会を良くするためには一人ひとりが発言していくこと」を繰り返された。
出口さんは、
と話している。
1970年から50年近く、日本の労働生産性は先進7カ国で最下位なのだ。
箱(店)を過剰なほど増やす、永遠に右肩上がりの目標を立てる、といったことを、性懲りもせず続けていれば、これから先もそうなるだろう。
人材は、その「箱」にふさわしい人が集まるだろう。
高度経済成長期やバブルの頃とは違うのだ。
国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)が世界全員が達成する目標。
働く人や食べ物に負荷をかけるのをやめる時期ではないだろうか。
われわれ消費者も、貴重なお金を払う先のお店を、主体的に選ぶ。そうすることで、社会が良くなっていく。
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