スペインの失敗から「東京都の受動喫煙防止条例案」を見る
東京都は2018年4月20日、2019年のラグビーW杯と2020年の東京オリパラに向け、独自の受動喫煙防止条例案を発表した。国(厚生労働省)はすでに受動喫煙防止対策を含んだ健康増進法の改正案を閣議決定し、今国会で成立させようとしている。だが、森友加計問題や財務省のスキャンダルなどで国会が機能停止状態のため、東京都側が業を煮やしたという形だ。
面積規定で失敗したスペイン
小池百合子都知事は、今回の条例案を発表した会見で「人に着目した」東京都独自のルールと強調した。人に着目した受動喫煙防止対策とはいったいどういったもので、何を目的としているのだろうか。
かつて、スペインで実施された受動喫煙対策では、面積規定で失敗した。今回の案はこうした過去の教訓を参考に練られた案と考えられる。
客席面積が100平方メートル以下を規制対象から外すなど国の改正案も個人経営などの小規模飲食店に配慮した内容だが、受動喫煙対策ではこの飲食店の物理的な大きさをどうするのかが常につきまとう。2006年に策定されたスペインの受動喫煙防止対策でも100平方メートルを境にそれ以下の飲食店では経営者の判断にまかせた。
同じようにヨーロッパ各国でも飲食店では面積規定が議論され、40平方メートル(デンマーク、2007年)、50平方メートル(クロアチア、2009年)、70平方メートル(ギリシャ、2009年、オランダ、2010年)、75平方メートル(ドイツ、2008年)、80平方メートル(スイス、2010年)など多様な対応になった(※1)。
日本政府が策定した改正案は、各国の規制の中で面積や内容などが2006年のスペインのものによく似ている。だが、このスペインの対策は結果的に飲食店の従業員らを受動喫煙から守ることはできず、失敗例として「スパニッシュ・モデル」と呼ばれた。
例えば、スペインで受動喫煙防止法が施行される前の2005年と施行後の2006年から6ヶ月、12ヶ月、24ヶ月後の環境タバコ煙濃度(※2)を合計443施設(店舗)で測定し、比較した研究がある(※3)。24ヶ月後の結果は、公共の施設など完全禁煙の場所で環境タバコ煙濃度は少なくとも60%減少していたが、経営者の判断で喫煙できる飲食店では施行前より40%も濃度が高くなっていて、こうした飲食店の従業員の健康を守ることができないことがわかったという。
ヨーロッパでタバコ対策に関する法律を策定し始めたのは、アイルランドやノルウェーなどで2004年のことだ。2006年に施行したスペインはヨーロッパでも早いほうだったが、スペインの規制法に関してはその策定過程でタバコ会社が作った受動喫煙を防ぐ飲食店用プログラムを参考にしたり、タバコ産業からのロビー活動などに強く影響されていたことがわかっている(※1、4)。
スペインの名誉のために付け加えれば、2006年の受動喫煙防止対策が不十分だった反省を踏まえ、2011年には飲食店を含む不特定多数が出入りする全ての閉鎖的な施設での完全禁煙を定めた新たな規制法ができている。この新しい規制法によれば、違反した場合、最初の1回目は30ユーロ(約4000円)の罰金だが、3回目以降には違反の程度により601〜10万ユーロ(約8万〜1320万円)の罰金になるようだ。
同じ轍を踏まないようにしたい
日本政府が作ろうとしている受動喫煙防止対策案は、2006年に失敗したスパニッシュ・モデルにそっくりで、これでは飲食店で働く従業員を受動喫煙から守ることはできない。そのため、東京都は受動喫煙から従業員を守るという点を軸に、飲食店の規制規模を考えたのだろう。
今回の条例案によれば、従業員という人の受動喫煙を防ぐため、職場である規制対象の飲食店を定め、一人でも従業員を雇っている飲食店は面積や規模に関係なく原則として屋内禁煙となる。原則として、というのは、煙を完全に遮断できるスペース(喫煙専用室)を設ければ、従業員を雇っていてもそこでの喫煙は可能という内容だ。
もう一つは、健康への影響を受けやすい子どもなど20歳未満の人を受動喫煙から守るという対策となる。幼稚園、保育所、小学校、中学校、高等学校は喫煙施設の設置を認めない敷地内禁煙とし、その他の施設の喫煙室などへの子どもなどの立ち入りを禁止する。また、児童や生徒に対して喫煙や受動喫煙の健康影響に関する禁煙教育を徹底していくとする。
子どもなどが出入りする飲食店についても同じで、飲食店の面積や規模に関係なくこれも原則として屋内禁煙とする。もちろん、煙を完全に遮断できるスペース(喫煙室)を設けても、そこへ子どもなどの立ち入りはできない。
つまり、従業員を雇わない個人営業で子どもの出入りがない飲食店は、面積や規模に関係なく規制の対象外となることになる。東京都は、従業員がいない都内の飲食店は16.3%とし、今回の条例案が実行されれば都内の飲食店の約84%が規制対象となるようだ。対象外の飲食店も喫煙可の店頭表示が義務づけられることで、デフォルトはどの施設も禁煙ということになる。
対象となるタバコの範囲だが、たばこ事業法に定める製造たばこ、または製造たばこ代用品となり、煙を出さない噛みタバコや嗅ぎタバコは対象外だ。気になる加熱式タバコは規制対象に入るが、健康への影響が明らかになるまでの間、行政処分や罰則は適用しないという。
罰則などは条例案を取りまとめていく過程で都民や行政、関係者などの意見を聞きつつ決めていくとするが、5万円以下の過料とするとの一部報道もある。また、東京都は喫煙できる場所の整備に対し、支援や補助などを実施していくようだ。
2018年6月の都議会へ提出し、条例内容を周知しつつ年内に一部施行し、2019年のラグビーW杯までに段階的に施行していく。そして、2020年の東京オリパラでは罰則適用も含めた全面施行を目指す。
失敗したスパニッシュ・モデルが示すように、面積規定では飲食店の従業員を守れない。タバコ産業にとって面積規定は一種のハームリダクションのようなものだ。彼らは少しでも抜け穴を大きくしようとするが、穴が大きく開いた分だけ、我々の健康が損なわれることを知っておいたほうがいい。
※1:Nick K Schneider, et al., "The so-called “Spanish model”- Tobacco industry strategies and its impact in Europe and Latin America." BMC Public Health, Vol.11, 907, 2011
※2:※3の研究では、環境中のタバコ煙、つまり受動喫煙の程度を評価するために、空気中のニコチン濃度を測定する手法がとられた。空気中のニコチン濃度は、感度が高く特異的な受動喫煙の指標であり、特定の場所で受ける環境タバコ煙の曝露の評価に用いられる。
※3:Maria J Lopez, et al., "Two-year impact of the Spanish smoking law on exposure to secondhand smoke: evidence of the failure of the ‘Spanish model’." Tobacco Control, Vol.21, 407-411, 2012
※4:Ildefonso Hernandez-Aguado, "The tobacco ban in Spain: how it happened, a vision from inside the government." Journal of Epidemiology & Community Health, Vol.67, Issue7, 2013