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『紅白』のトリ、固定化への違和感──MISIAと福山雅治の5年連続起用が示す硬直化

松谷創一郎ジャーナリスト
昨年『NHK 紅白歌合戦』のYOASOBIのステージ(2023年12月31日)。

 年末恒例の『NHK 紅白歌合戦』では、近年、少し気になる現象が続いている。番組の最後を飾るトリのアーティストが、2020年から5年連続でMISIAと福山雅治の組み合わせになっていることだ。MISIA個人にいたっては2019年から6回連続だ。

 トリが5年連続で同じ組み合わせなのは、過去に例がない。それまでは、美空ひばりと森進一が務めた1969年から1971年までの3年連続が長らく最長だった。この記録と比べても、5年連続の現在の状況がいかに異例かがわかる。

 なぜこうなっているのか──。

筆者作成。
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昭和期のトリは「歌謡界の頂上決戦」

 現在はあまり強く意識されないが、この番組の基本フォーマットは紅組と白組が歌で対決することにある。昭和の時代は応援合戦などもありかなり盛り上がった。当時トリが重要な意味を持ったのも、女性歌手と男性歌手の「最後の対決」として注目されたからだ。同時にそれは、各時代の歌謡界における人気や業界内の序列を内外に示すものでもあった。つまり「歌謡界の頂上決戦」だった。

 歴史を振り返れば、これまでもっともトリを多く務めたのは、美空ひばり、北島三郎、五木ひろしの3人で、いずれも13回となる。連続でトリを務めた記録では、1963~1972年までの美空ひばりの10年連続が最多。現在のMISIAの6年連続と福山雅治の5年連続は、実はそれに続く記録だ。意外にも北島三郎や五木ひろし、森進一、石川さゆりなどは3年連続までで、SMAPでも4年連続が最多だ。

 こうした過去の記録を確認すると、美空ひばりは例外としても、同一アーティストのトリをなるべく続けないようにしていた歴代の制作陣の意図が感じられる。つまり、トリの固定化を避ける暗黙の制作方針があったと推測される。逆に5年連続でMISIAと福山雅治に固定化された現状からは、制作側の工夫が足らないことを感じさせる。

筆者作成。
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低下するトリの意味と価値

 もちろん、トリや大トリにむかしほどの大きな意味や価値が感じられなくなっているのもたしかだ。番組で紅白の対決がさほど強調されなくなったこともあるが、やはり音楽の多様化によって「歌謡界(芸能界)」の価値が相対化されたことが大きい。

 実際、たとえば昨年もっとも盛り上がったのは、白組・トリのひとつ前に登場したYOASOBIだった。BE:FIRSTやNewJeansなど、日韓のグループによるダンスに囲まれて大ヒット曲「アイドル」をパフォーマンスするステージは、間違いなくこの年のハイライトだった。

 また、そもそも『紅白』には従来の歌謡界とは一線を画すアーティストが出演してこなかった歴史もある。具体的には、ニューミュージックやロックなどの山下達郎や井上陽水、RCサクセション、THE BLUE HEARTSなどがそうだ。松任谷由実も2005年まで出演することはなかった。彼らはみずからの多様性を、番組に出演しないことで示していた。

 『紅白』の視聴率の推移は、こうした文化的変遷と連関している。1980年代後半以降のCDの普及による音楽産業の成長期において、『紅白』は逆に急激な視聴率の低下に直面する。音楽志向の多様化に歌謡界を軸としていた番組が対応できなくなっていった。

 1989年からの2部制への拡大は、こうした課題への対応だった。海外のアーティストを積極的に出演させ、ロックバンド等もこの頃から増え始めた。それによって視聴率の低落傾向もある程度は緩和された。

 だが、新型コロナ禍の直前の2019年頃からさらなる低落傾向が見られる。それは端的に『紅白歌合戦』、および地上波テレビの価値の低下とも関係している。YouTubeなど放送以外の動画メディアの浸透がその背景にあるのは確実だ。

 かように歴史を振り返ると、音楽メディアの多様化の過程で『紅白』の存在感は段階的に低下をしてきたのである。

筆者作成。
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消極的な選択としてのMISIAと福山雅治

 こうしたなかでMISIAと福山雅治は、トリとしておそらく“ちょうどいい”。音楽的には演歌などの旧来的な歌謡曲とは距離を保ちつつ、キャリアも長いので全世代の認知度も高い。現在MISIAが46歳、福山が55歳であり、高齢化が著しい日本においては年齢的にもちょうどいい。5年連続で同じトリであるのは、こうしたことが要因だろう。

 グラフを見ても明らかなように、トリを務めるアーティストは日本人の平均年齢とともに上昇傾向にある。社会と歌謡界の高齢化によってこうした推移をするのは不思議ではないかもしれないが、1979年に山口百恵が19歳で、1997年には安室奈美恵が20歳でトリを務めたことを考えれば、今年までの5年間の固定化が必然ではないことも見える。やはり単なる消極的な選択に感じられる。

筆者作成。
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 制作側の意図として想像される認知度の高さも、昭和の時代のような高い“人気”を意味するわけではない。戦後のポピュラー文化の浸透とメディアの多様化は、「認知」と「人気」の乖離を段階的に強めてきたからだ。

 Billboardチャートから人気を確認すると、今年の年間Artist100において、MISIAは95位、福山雅治は100位圏外だ。彼らはたとえ認知度は高くても、人気が著しく高いとは言えない。つまり現在のトリの固定化は、音楽シーンの現状を反映したものとは言い難い。

必要なのはトリの再定義

 たとえば今年の出演者であれば、Billboardチャートの年間Artist100では、紅組のトップはあいみょん(10位)、白組はMrs. GREEN APPLE(1位)となる。こうしたトリであっても、視聴者から大きな不満は生じないだろう。

 もちろんそれは流行に関心のない視聴者には納得がいかないかもしれないが、音楽シーンを知る者にとってはある程度は納得できる人選だ。少なくとも、消極的な選択としてMISIAと福山雅治を続ける現状よりは、『紅白歌合戦』や日本のポピュラー音楽シーンに価値を創出する可能性を秘めている。

 たしかに前述したように『紅白』のトリには、かつてのような意味や価値はあまりない。しかし依然として存在感を持つ番組である以上、必要とされるのは「トリ」の再定義だろう。そして、認知度ではなく人気を基準とすることは、そこに新たな意味と価値を生じさせる。それによって、『紅白』が音楽シーンの明確な変化を示す役割を担うことにもなる。

 トリの旧来的な価値は低下したが、その人選によって新たな意味体系を構築する可能性は十分にありうるということだ。現在のマンネリ化された人選は制度的慣性の表れにも捉えられ、再定義の余地は十分にある。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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