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徳川家康には、本当に隠し子がいたのだろうか。その真相を探る

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
徳川家康像。(写真:イメージマート)

 今年の大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康の幼少期から天下人になるまでを描いていた。今年の最後は、家康には隠し子がいたというが、その真相について考えることにしよう。

 昔から、歴史上の有名な人々には、隠し子(ご落胤)の話が取り沙汰されてきた。たとえば、平清盛は白河法皇のご落胤であるといわれてきた。

 この説は、『平家物語』の語り本系の諸本に書かれている。そうでなければ、清盛は異例の大出世をしなかったというのである。その後、その事実を匂わせる史料も発見されたが、決定付けるに至らず、真相は闇の中といえよう。

 実は、家康にも隠し子ではないかという人物がいる。そもそも、当時は現代のように法律で厳格に定められた結婚の制度があるわけでもなく、性に対しては奔放だったといわれている。その点については、『日本史』を著わしたポルトガルの宣教師のルイス・フロイスも驚いたくらいである。

 家康の隠し子といえば、永見貞愛が知られている。貞愛は家康と於古茶との間に誕生したが、実は秀康(家康の次男)と双子だったといわれている。

 当時、双子は「畜生腹」といわれ嫌われていたので、貞愛は母の実家の永見家で養育された。この説は『永見氏系譜』に書かれているが、今や事実か否かをたしかめることはできない。

 ほかの家康の隠し子としては、松平民部なる人物がいる。民部は家康の厄年に生まれたので、あまり縁起が良くないとされて、秀康(家康の次男)の養子になった。

 その後の民部の動静はほとんどわからず、大坂の陣にも出陣したようだが、元和9年(1623)に亡くなった。家康の隠し子にしては、不明な点が多すぎる。

 小笠原権之丞は、家康と朝日姫(豊臣秀吉の妹)の侍女との間にできた子であるといわれている。いわゆる「お手付き」といわれるものである。

 家康は秀吉がこの事実を知ることを恐れ、侍女を家臣の小笠原正吉のもとに嫁がせ、権之丞を養子として送り込んだ。『寛政重修諸家譜』に書かれた話だが、やはり真相は不明である。

 家康の隠し子として有名なのは、土井利勝である。利勝が家康の隠し子だったことは、『視聴草』、『徳川実紀』、『土井系図』などの後世に成った史料に書かれている。

 一説によると、家康は正室の築山殿との仲が悪くなったので、ほかの女性と結ばれて、利勝を授かったという。とはいえ、こちらは父が水野信元の子であるという説が有力である。

 ここに挙げた人物が本当に家康の隠し子だったのかについては、残念ながらたしかめようがない。一般論でいえば、こうした話は噂のレベルに過ぎず、よほど確実な裏付け史料が出ない限り、アテにならないと考えるのが自然であろう。

 本年はご愛読いただき、誠にありがとうございました。新しい年が皆様にとって、良い年になりますことを祈念申し上げます。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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