不仲説が流れるとんねるずの2人が「帝京魂」でつながっていると断言できる理由
お笑いコンビの2人の関係性とは実に不思議なものだ。定義上は単なる仕事上のパートナー同士でしかないはずなのだが、それだけにとどまらない独特の距離感がある。
ただの仕事仲間でもなく、友人でもなく、恋人でもない。その関係性は夫婦にたとえられることもある。たしかに、ある種の「契約」を前提にして成り立っているという意味では、夫婦に近いとも言えるのかもしれない。
雨上がり決死隊の解散が発表された『アメトーーク特別編 雨上がり決死隊解散報告会』でも、2人のたたずまいは長年連れ添った熟年夫婦のようだった。
一方がとっくの昔に愛想を尽かして見切りをつけているのに、もう一方はその事実を受け止め切れず、まだやり直せるのではないかともがいている。そんな熟年カップルの離婚会見を見せられているようだった。
そもそも、いい歳をした大人同士が「仲がいい・仲が悪い」などと噂されること自体が、お笑いコンビという関係の特異さを物語っている。
デビュー以来、40年以上にわたって活動しているとんねるずも、何かと不仲説をささやかれることが多いコンビである。彼らが不仲だと言われるようになったのは、徐々にコンビよりも個人の活動の方が目立ってきたからだ。
とんねるずの石橋貴明と木梨憲武は、もともと帝京高校の同級生である。親しい友人が仕事上のパートナーになったというルーツが多くの人に知られているからこそ、不仲になったのではないか、ということが噂になりやすい。
実際に不仲かどうかというのは、本人たちにしかわからないことなので、そもそも考えるのも無意味である。
むしろ、とんねるずの場合、本人たちも不仲説が流れていることは承知の上で、それを逆手に取ってネタにして楽しんでいるようなところがある。
YouTube企画でニアミス
少し前にそれを象徴するような出来事があった。石橋のYouTubeチャンネル『貴ちゃんねるず』に初めて木梨が出演したのだ。
2021年8月22日にアップされた動画で、石橋は「24分間テレビ」という企画を行っていた。日本テレビの『24時間テレビ』のパロディとして、石橋が24分にわたってマラソンを行い、3キロの距離を走り抜いて両国国技館を目指す、というもの。
加山雄三のモノマネ芸人であるゆうぞうが『サライ』を歌うべくゴールで待ち受けているところに、谷村新司に扮した木梨が加わった。「噂によると(石橋が)独り暮らしって聞いてるから。焼きおにぎりをね、ゴールしたらプレゼントしようかなと」と言って、石橋が離婚したことをネタにしてみせた。
結局、石橋は完走しないまま車に乗って逃げてしまうというオチになり、動画の中で2人が対面することはなかった。だが、実質的に久々のコンビでの共演を果たした形になったため、この動画は大いに話題になった。
「タカ、来たの?」
この動画を見て私が思い出したことがあった。2011年3月3日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)で、木梨の誕生日を祝う企画が行われた。おぎやはぎの小木博明が案内人を務めて、木梨をいろいろな場所に連れて行った。IKKO、楽しんご、バナナマンの日村勇紀などが祝福の言葉を贈っていた。
木梨たちが最後に訪れたのが、綾小路翔が経営するサパークラブ『masurao』だった。ここで小木が「ノリさんに一番喜んでもらえるサプライズを用意しました」と宣言して呼び込んだのは、シャンパンを片手に持った石橋だった。
まさか相方がここで出てくるとは思わなかった木梨は、驚きのあまりキョトンとした表情を浮かべて、「タカ、来たの?」とつぶやいていた。
それまで石橋は、照れくさくて木梨の誕生日を祝ったことは一度もなかったのだという。だからこそ、木梨も心底驚いていたのだ。
木梨が石橋のYouTubeに出たのは、そのときのお返しというふうに見ることもできる。とんねるずとしてのレギュラー番組がなくなり、共演する機会も減っているとはいえ、こうやって軽やかに不仲説を逆手に取って人々を楽しませることができる彼らが、本当の意味で仲が悪いとは思えない。
「帝京魂」で結びつく2人の絆
最近では、4月12日に「GYAO!」で配信された木梨の番組『木梨の貝。』の中で、彼とかかわりの深い人々からの還暦祝いのメッセージが流れる中で、石橋もそこに登場していた。石橋は木梨に対するメッセージとして「魂(だましい)」という文字を書いた。これは、彼らの母校である帝京高校に伝わる「帝京魂(ていきょうだましい)」のこと。高校の同級生の2人が、今も同じ信念を持っていることを確かめ合う感動的なシーンだった。
お笑いコンビの理想とは、2人が向き合っていることではなく、2人が同じ方向を向いていることだ。純粋に見る人を楽しませたいというエンターテイナーとしての志を共有するとんねるずの2人は、そんな理想を体現する存在なのだ。