樋口尚文の千夜千本 第199夜『リボルバー・リリー』(行定勲監督)
ハードボイルド活劇を実らせるものは
日常の恋愛模様などを描くことの多かった行定勲監督が活劇を撮るということで話題の作品だが、そもそも行定監督の描く「日常」は脱力したトリビアルなものではなく、いつも虚構的なテンションをたたえた世界観のなかで描かれていたので、実はそんなに違和感はなかった。そういう意味では、本作は行定監督本来の虚構性の持ち味が存分に発揮された作品と言えるかもしれない。
ただしハードボイルド活劇というのは、設定や筋書きが文字通りシンプルかつ即物的、そして小ぶりな物語であるのが必須で、この方面の傑作は『三つ数えろ』も『拳銃魔』も『殺し屋ネルソン』も『ロング・グッドバイ』も『ハメット』も『殺しの烙印』も『ブレードランナー』も概ねこの法則にのっとっている。まあ平たく言えば、ごく具体的でちゃちな話こそがハードボイルド活劇にはうってつけの素材なのだが、『リボルバー・リリー』は困ったことに存外でかい陰謀が軸になっている。これは原作がそうなっているのかもしれないが、ちょっとこれはやっかいだぞと行定監督に限っては悩んだに違いない。
その結果、内容は伏せるがちょっとデカすぎる噓話は、実際の画としては荒唐無稽でちゃちな(これは積極的な意味である)具体性をもって描かれ、あたかも戦争映画のごとき撃ち合いがおっぱじまるのである。だから、ハードボイルド的な銃身や銃弾へのフェティシズムというのはほぼ感じさせようがないのだが、あのデカ過ぎる陰謀をここまでB級映画的でチーピーな具体性に置き換えることで、行定監督はなんとか正しい映画作家としての倫理を表明したとは言えるだろう。あの陸軍大尉にもう笑っちゃうような大時代なワルモンの演技を求めているのもそのサインのはずだ。
そして、モガモボの人間人形に徹した綾瀬はるかと長谷川博己は、余計な人間性を感じさせないペラさ(誉め言葉である)に徹して素晴らしく、ハードボイルド的磁場を呼び寄せているのだが、そんなふうでとにかくお話がむやみにデカいのが勿体ないのであった。綾瀬はるかのガンプレイやマーシャル・アーツ的な格闘ぶりは美しく、長谷川博己の洒落たダンディぶりもなかなかいい感じだったので(シシド・カフカの『バッド・ガールズ』ふう参戦もよかった)、もし続篇があるのならセットは大きく、話は極小にして、行定監督とこのキャストたちに好きに撮らせてあげたい。