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愛知県で起きた明治用水の漏水 相互依存するインフラ・ライフライン、被害連鎖の背景は

福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
著者撮影、明治用水から西三河工業用水に分岐する工水分水工

農業用水が止まって、農業に加え製造業や発電に影響

 先月5月17日、愛知県豊田市の水源町にある矢作川の明治用水頭首工で漏水が起き、農業用水の明治用水に取水ができなくなりました。田植えの時期でもあり、「日本のデンマーク」と呼ばれる農業地域に深刻な影響が出ています。それに加え、日本一の産業集積地である西三河地域の大規模工場が生産を停止したり、火力発電所が発電を停止したりするなど、大きな影響が出てしまいました。その背景には、インフラやライフラインの相互依存の問題があります。

教科書にも載った明治用水が漏水で止まる

 明治用水は明治初期に作られた教科書にも載る有名な農業用水で、1880年に完成しました。水不足の碧海台地に水を供給することで、安城市を日本のデンマークと呼ばれる豊かな農業地域にしました。明治用水はトヨタ自動車本社のすぐ東にある豊田市水源町の明治用水頭首工で、矢作川の水を取水しています。矢作川に堰を作って水を貯め、そこから右岸の明治用水に分岐して水を流しています。

 今回、堰の上流側の貯水場所の川底に水みち(パイピング)ができ、堰の下流に水が流れ出てしまいました。貯水ができないと、明治用水に水を流せません。今は、応急的にポンプにより取水していますが、水量は十分ではありません。頭首工の管理をしていたのは東海農政局で、明治用水は明治用水土地改良区によって運用されています。堰は1958年に完成し、2014年から耐震化工事が行われていました。貯水部の川底のコンクリートの老朽化に原因があるとの指摘もあるようですが、まだ、調査中です。

農業用水から分岐した工業用水

 西三河地域は日本有数の自動車産業の集積地です。今回の明治用水の漏水で、多くの工場が操業停止などに追い込まれました。明治用水は農業用水なのに、どうして工場が停止するのか不思議に思う人が多いようです。西三河地域の大規模工場は、愛知県企業庁が管理する西三河工業用水を利用しています。1971年に矢作ダムが完成し、このダムを水源として1975年から工業用水に給水が始まりました。

 実は、この工業用水は明治用水経由で矢作川の水を利用しています。安城市内にある明治用水の中井筋の工水分水工で分岐させて、安城浄水場に導水し、浄水した後に枝分かれ状に各事業所に配水しています。工業用水の利用者は自動車関連企業を中心に131事業所で、契約水量は1日当たり約28万トン、給水実績はその約半分です。工業用水の末端には、日本有数の石炭火力発電所の碧南火力発電所があります。愛知県で利用する半分の電気を賄っていますが、脱硫のために大量の工業用水を必要とします。

電気、ガス・石油、水、一つ欠けると社会がストップ

 現代は、社会基盤機能の集中化によって効率的な社会を作っています。生活や生業に不可欠な電気やガス・石油、水は中央集約型で、発電所、ガス工場・製油所、浄水場などで集中処理されます。港湾で燃料を受け入れたり、河川などの水源から取水したりした後、集中処理して、電線やガス管・水道管、パイプラインやタンクローリーなどで需要家に届けられます。

 実は、これらの社会基盤施設は相互に依存しあっています。電気、ガス、石油は水がなければ作れません。同様に、どれか一つが欠けると全てが止まります。さらに、道路や通信がこれらを支えています。近年、コストカットのために自由化や民営化などが進みつつあります。当然ですが、コストが削られれば、安全のための投資は減ります。今回は、水に関わるインフラの老朽化によって、他のインフラ・ライフラインに影響が及びました。

縦割りの上水、工水、農水、下水

 社会を維持するには水はなくてはならないものですが、水の供給は複雑です。私たちが日ごろ飲んでいる水は、上水道から供給される水です。一方、農業に使う水は農業用水、電気やガス、石油、鉄、車などの工業製品を作るのに使う水は工業用水です。使い終わった水は、家庭用の水は下水道を通して下水処理場に流され、きれいに処理して川や海に放水します。下水道が未整備の場所では、各戸にある浄化槽で処理します。また、工場などでは事業所内の排水処理施設で処理されます。

 水道水、農業用水、工業用水、下水道は、監督官庁が異なり、それぞれ厚労省、農水省、経産省、国交省と、縦割り構造になっています。さらに、河川やダムには、国交省や水資源機構、上水道は都道府県の企業庁や市町村、農業用水は土地改良区などが、工業用水は都道府県の企業庁が、下水道は都道府県や市町村が関わっています。これらの組織間の風通しの良し悪しが、いざというときに問われます。

複雑な水利権、農家の方々の苦渋の選択

 水は生活や農業になくてはならないものですが、一方で洪水などの災いももたらします。このため、利水と治水が大切になります。古より、水は争いのもとでした。上流と下流との争いは今でもよく聞きます。水を制したものが支配者になっていきました。川の水を利用する権利は複雑で、水利権と呼ばれています。

 水利権は、河川法に規定されていて、水道水、工業用水、農業用水、発電などの各利用者が河川管理者の許可を得て一定の水量を使う権利が認められています。基本的に早い者勝ちですから、最初に川の水を利用していた農業用水に優先権がある場合が多いようです。工業用水などの後発組は、ダムなどの新たな水源を確保することで、新たな権利を得ることになります。西三河工業用水も、矢作ダムを作ったことで、ダムに貯水した水を使う権利を得ることができました。

 明治用水頭首工の漏水では、農業用水よりも工業用水を優先させて給水を行いました。これは、画期的だと思います。影響の甚大さを考えた措置なのかもしれませんが、農家の方々にとっては苦渋の選択だったように思います。災害が起きたとき、お互い様の気持ちで、譲り合うことの大切さを改めて感じます。

以前から指摘されていた明治用水と西三河工業用水の問題

 私たちは、2014年から「本音の会」と呼ぶ本音トークによる議論の場を持っていました。南海トラフ地震の発生に備えて、製造業などの産業維持のため、産業界のボトルネックをオフレコで語りあう会です。この場で、インフラやライフラインの相互依存の問題や、明治用水と西三河工業用水の問題、サプライチェーンや物流の問題などを議論し、その改善の努力を続けてきました。

 議論の一部は、中部経済連合会が発表した提言書「地震災害から生産活動を守るための方策の提言 ~生産活動の側面から進める国土強靱化~」(2018年6月15日)や、提言書「南海トラフ地震等が中部経済界に与える影響を最小化するために」(2019年5月17日)にまとめられています。明治用水の問題は、後者の33ページ、44ページに具体的に指摘されています。

 こういった背景もあり、西三河の事業者は、工業用水の備蓄や井戸の整備など、様々な自助努力をしていました。おかげで、今のところ、致命的な影響は出ていないように思います。まさに、「居安思危 思則有備 有備無患」の大切さが分かりました。

カーボンニュートラルを活かして、自律力のある社会を

 かつての日本社会は、灯明、かまど、井戸やわき水、くみ取り便所を使った生活で、自律性の高い生活をしていました。これに対して現代は、様々な電化製品を使い、電気やガス、上下水道、インターネットなどに頼り切っています。また、近年の半導体不足の様子を見ても分かるように、複雑なサプライチェーンを構成する製造業などでは、一部の部品供給が滞るだけで全体に影響が及びます。

 最近、カーボンニュートラルの一環で、太陽電池や蓄電池を備えた住宅や、PHVやEVなど蓄電可能な自動車が普及しつつあります。ウクライナ問題を通して、エネルギーと食料の自給率向上の大切さも認識されました。田舎家の我が家でも、ささやかな努力ですが、複数の電源を確保したり、井戸を掘ったり、家庭菜園をしたりするなどして、環境と健康と安全を向上させる自助努力を始めています。

名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長

建築耐震工学や地震工学を専門にし、防災・減災の実践にも携わる。民間建設会社で勤務した後、名古屋大学に異動し、工学部、先端技術共同研究センター、大学院環境学研究科、減災連携研究センターで教鞭をとり、2022年3月に定年退職。行政の防災・減災活動に協力しつつ、防災教材の開発や出前講座を行い、災害被害軽減のための国民運動作りに勤しむ。減災を通して克災し地域ルネッサンスにつなげたいとの思いで、減災のためのシンクタンク・減災連携研究センターを設立し、アゴラ・減災館を建設した。著書に、「次の震災について本当のことを話してみよう。」(時事通信社)、「必ずくる震災で日本を終わらせないために。」(時事通信社)。

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