将棋で取った駒を使うのは「捕虜虐待」ではない 木村義雄、升田幸三の言葉をたどる
戦時中、木村義雄名人は満州で張景恵(ちょう・けいけい)国務総理と会い、日本の将棋を他国の将棋と比較して論じる機会がありました。そのとき、どんなことを言ったのか。のちに座談会で次のように述べています。
「皇威」「八紘為宇」(八紘一宇)などは時代を色濃く反映した言葉です。木村名人をはじめ、将棋界の人々もまた、時代の大きな流れの中で翻弄されました。
ともかくも木村名人が強調したかったのは「取った駒を持ち駒として使うのは、決して捕虜虐待ではない」という点でしょう。
木村名人は若い頃、いち早くチェス(西洋の将棋)に触れ、そのゲームの面白さ、奥深さを知っています。またチェスの制度の合理的な点を認め、持ち時間や封じ手などを将棋界に導入しました。
その上で木村名人は、取った駒を持ち駒として使える点を日本の将棋の大きな特長としてあげています。他国の将棋に類例なきルールによって、日本の将棋は世界に誇るゲームとなりました。
他国の人がそれを「捕虜虐待」と解釈してしまうのは、日本の将棋の愛好者からすれば残念な限りです。「それは誤解」と説明するため、たとえ話が必要な場面は何度もあったのかもしれません。
さて、以上の言説は、将棋界の故事に関心ある方ならば聞き覚えがあるでしょう。そう、終戦後GHQに呼ばれた升田幸三(1947年当時は八段)の例が有名で、升田八段もまた、同様のことを言っていたわけです。
本稿では升田幸三『歩を金にする法』(1963年刊)から該当箇所を引いてみます。
升田八段にとって木村名人は打倒すべき相手でした。また性格も合わなかったため、繰り返し批判をしています。しかしそこはやはり、将棋史上屈指の大棋士2人。どこか通じ合う部分は、多々あったのでしょう。
文献をたどっていくと、いくつかの点で木村、升田は似たようなことを言っています。
などはその例です。