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サッカー北朝鮮代表チームに密着!日本では報じられない代表選手たちの素顔

金明昱スポーツライター
右から北朝鮮代表の李栄直(讃岐)、パク・クァンリョン、金聖基(町田)(筆者撮影)

 タイの首都・バンコクから北東方面へ約400キロの場所にブリラムという街がある。

 田舎町ではあるが、サッカーのタイリーグの強豪・ブリラムユナイテッド(今季含め最多6度のリーグ優勝)のホームタウンでもあり、「i-mobileスタジアム」(通称:サンダーキャッスル)という欧州クラブ顔負けのサッカー専用競技場も持つ。

 さらにスタジアムの隣には、立派な国際サーキットが併設され、周辺は小綺麗な飲食店がいくつもあった。

ブリラムユナイテッドのホームスタジアム「i-mobileスタジアム」通称サンダーキャッスル
ブリラムユナイテッドのホームスタジアム「i-mobileスタジアム」通称サンダーキャッスル

 街中では平日の昼間から同クラブのユニフォームを着たサポーターや一般人が多く見られ、地元の人々がいかにこのクラブに愛着とプライドを持っているのかを知ることができる。

 アジアチャンピオンズリーグ(ACL)でも、過去にブリラムユナイテッドと戦ったJリーグクラブもあり、日本のサポーターもこの街を訪れたことがあるだろう。そのためか、街中には日本食レストランやリゾートホテルも点在していた。

 そんな場所で11月10日と13日に行われたのが、朝鮮民主主義人民共和国代表(以下、北朝鮮代表)とマレーシア代表の2019アジアカップ最終予選だった。

アジアカップ最終予選に出場した北朝鮮代表
アジアカップ最終予選に出場した北朝鮮代表

 本来、ホーム&アウェイで行われるはずの試合が、第3国のタイで2試合が開催された。

 その理由は、2月の金正男氏のマレーシアでの殺害事件がきっかけだ。両国の外交関係悪化で、3月に行われる予定だった北朝鮮対マレーシア戦が延期となっていたのだが、中立地のタイでようやく開催に至った。

第3国開催、2度目の取材

 ちなみに第3国の中立地で、試合の取材したのはこれで2度目だ。2008年9月、2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会アジア最終予選で、北朝鮮代表と韓国代表が、中国・上海で戦ったとき、私は現地にいた。

 この時、第3国で開催されたのは、北朝鮮が平壌会場での韓国国旗掲揚と国歌演奏を認めないと主張していたため、南北間の協議が決裂し、上海での開催となった。

 当時、スタジアム周辺は上海在住の北朝鮮応援団と韓国の“レッドデビル”率いる応援団、さらに現地の中国人らが姿を見せていた。互いに対立する立場にあるが、試合前は決して重々しい雰囲気はなかった。

 話を戻そう。タイ・ブリラムでの試合は、両国の外交関係悪化もあり、ある程度は両代表チームにも物々しい空気が漂っているのを想像していたのだが、拍子抜けするほど平穏な空気が漂っていた。

宿泊先のホテルが北朝鮮代表チームを歓迎
宿泊先のホテルが北朝鮮代表チームを歓迎

 試合当日、選手が乗ったバスがスタジアムに到着しても、警備に立つスタッフの数が多いだけで、暴動を起こそうという人は誰もおらず、マレーシア代表サポーターがパラパラといるくらい。

 現地タイのサッカーファンやサッカークラブの少年、少女たちが無料のチケットをもらって、試合観戦に訪れていたくらいだった。

無料で配られた観戦チケット。上が北朝鮮ホーム試合、下がマレーシアホーム試合
無料で配られた観戦チケット。上が北朝鮮ホーム試合、下がマレーシアホーム試合

 試合は10、13日ともに北朝鮮が4-1のスコアで2連勝し、B組2位に浮上。2019年にUAEで開催されるアジアカップ本大会出場へ大きく近づいた。

 ちなみに両日ともスタジアムの観戦者は、500人ほどで、試合中の選手の声と監督の檄が、スタジアムに響き渡るほどだった。

北朝鮮選手、スタッフの素顔

 私が第3国で開催される試合の取材に行く理由はたった一つ。北朝鮮代表チームの“素顔”が見られるからだ。

 今回、私は選手が滞在するホテル近くに宿を取り、午前中は選手たちがいる場所に毎日顔を出していた。

 特に在日コリアンでJリーグのカマタマーレ讃岐でプレーする李栄直がいたのは幸いで、彼が仲介役になり、選手やコーチに紹介してくれたことで、スムーズに取材が進んだ。

 選手たちは監督とともに試合のない午前中はホテル周辺をぶらりと散歩をし、戻ってきてからは昼食をとって、部屋でゆっくりと休む。

 もちろん、彼らは自由に散歩もできるのだが、私や北朝鮮選手団が泊まっていたホテル周辺には、セブンイレブンや小さな商店や飲食店があるくらいで、決して便利な場所とは言い難く、やることがほとんどない。

試合前は警備の数も増えていたが、物々しさはなかった
試合前は警備の数も増えていたが、物々しさはなかった
スタジアムの外でマレーシアサポーターが大声を出していたため、念のため警察が出動していた
スタジアムの外でマレーシアサポーターが大声を出していたため、念のため警察が出動していた

 試合に備えてリラックスすることが先決だ。選手たちは夕方からスタジアムに移動し、約1時間30分ほど練習して、コンディションを調整していた。

 そこに特にピリピリした緊張感はなく、私も監督やチームスタッフ、選手たちとも話をし、徐々に距離を縮めることに成功した。

 毎回ホテルに行くたびに「食事はされましたか?」と聞かれるのが合言葉になっていた。ホテルの食堂で一緒にランチを食べることも できたが、さすがにそれは遠慮した。

 ホテルのロビーにFWのパク・クァンリョン(オーストリア・SKNザンクトペルテン)がいたので、日本から来た記者であることを告げると「はるばるお疲れ様です」と声をかけてくれた。

 その一言で、彼が国内の選手と違って、記者の対応にはかなり慣れていることが分かった。

欧州成功のために必要なもの

 25歳のパクは身長188センチで、長身を生かした空中戦を得意とする大型FW。かつては代表で清水エスパルスの鄭大世と2トップを組んで試合に出ていた。

 パクが北朝鮮国内のクラブチームでプレーしたのはわずか2年と短く、欧州での生活のほうが長くなった。そのためか、記者対応も実にスムーズだった。

 彼は2011年から昨年までスイスリーグのクラブを転々とし、今季はオーストリアリーグでプレーしている。彼はスイスのFCバーゼル在籍時代、韓国代表経験のあるパク・チュホと同僚だった時期があり、2011年9月には北朝鮮選手として初めてチャンピオンズリーグ(CL)にも出場。当時、パク・チソンがいたマンチェスター・ユナイテッドを相手に3-3で引き分けている。

「写真撮らせてもらっていい?」

 そう聞くと彼は快く「いいですよ」と笑顔を見せ、Jリーグでプレーする李栄直(讃岐)と金聖基(町田)との3ショットに応じてくれた。

 ついでに少し話を聞いてみた。

「長らく欧州でプレーしているけれど、アジア人FWが欧州で成功を収められる秘訣があれば教えてください」

 そう聞くと、彼はすぐにこう答えた。

「まずは肉体的な準備をしっかりしておかなければいけません。それは絶対条件。次にメンタルが強くないといけません。とにかくアジアの選手は、欧州の選手よりも出場機会が恵まれないこともあるので、出場した試合でどれだけチャンスをものにできるか、最後まで諦めずにゴールを狙っていかないといけません。それによって、認められるかそうでないかが決まりますからね」

目標はマンUのルカク

 パクは欧州での生活は充実しているそうで、同僚の李栄直が「彼はヨーロッパでの生活が長いせいか、食事の仕方がスマート。めちゃくちゃカッコつけていますよ(笑)」とこそっと教えて笑わせてくれた。

 続けてパクに聞いた。目標とする選手はいるのか。

「マンチェスター・ユナイテッド所属でベルギー代表のFWルカクです。彼のプレースタイルを参考にしているところはありますね」

 CLでもプレーした経験があるだけに、世界レベルも肌で体感している彼の目線は常に高い位置にある。

「いま撮った写真くださいね(笑)」と言って部屋に戻っていった。

マレーシア戦でゴールを決めた選手を祝福するパク・クァンリョン(19番)
マレーシア戦でゴールを決めた選手を祝福するパク・クァンリョン(19番)

「北澤豪はよく走る選手だった」

 ロビーにいるともう一人、元北朝鮮代表で現在は代表コーチを務める方が声をかけてくれた。聞けば1992年、広島で開催されたアジアカップに出場し、当時の“オフトジャパン”と対戦したというではないか。試合は1-1で引き分けている。

 昔話に花が咲いた。

「あのときの日本代表には三浦知良、ラモス瑠偉、北澤豪、柱谷哲二などがいたね。彼らと戦ったが、北澤は中盤で本当によく走る選手だった」と懐かしそうに、少し自慢げに話していた。

 第3国でのタイでの試合前とは思えないほど、リラックスした北朝鮮選手、スタッフたちの姿がそこにはあった。

 日本で連日流れる北朝鮮報道に接していると、政治とは関係のないサッカーの代表チームでさえも色眼鏡で見がちだ。

 ただ、彼らと接しながら感じるのはそんなイメージを持って、接するのは見当違いだということ。

 北朝鮮代表は12月、日本で開催される東アジアE-1選手権に出場する。国の威信をかけ、戦いの舞台に立つ彼らの奮闘ぶりが、日本の多くのサッカーファンの胸に響くことを期待してやまない。

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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