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2019年は大丈夫か? 熊谷スポーツ文化公園のアクセス問題を考える

大島和人スポーツライター
現在は改修中の熊谷ラグビー場(写真:アフロスポーツ)

熱戦後のバス待ち問題

この9月20日、男子サッカー天皇杯のラウンド16が全国8会場で行われた。埼玉県の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場では浦和レッズと鹿島アントラーズの好カードが実現し、激しい打ち合いの末に鹿島が4-2で勝利している。

記者は別会場で取材をしていたのだが、熊谷は試合後が大変だったらしい。この会場は熊谷駅から4キロ弱で、一般客はシャトルバスを使うことになる。20日の晩はバスの行列が大変な長さになり、かなり多くのサポーターが夜遅くに取り残されたという話だった。

入場客数は10,051名と発表されており、普段のJリーグに比べて多かったわけではない。それでもアクセスがパンクしてしまうのが、熊谷スポーツ文化公園だ。

2019年は3倍の観客が同地に

自分が以前から懸念しているのは2019年のアクセスだ。熊谷スポーツ文化公園はラグビワールドカップ(W杯)の開催地に名乗りを上げており、熊谷ラグビー場は現在19年に向けて3万人規模へ改装工事中。元から立派なフットボール場だったが、屋根や座席を『世界レベル』に整備して、世界の一流選手を迎えることになっている。

仮に3万人が来場した場合、その『さばき』はどうするつもりなのか?路線バスの乗車人数はかなり詰め込んで1台50人見当。熊谷駅とスポーツ文化公園をピストン輸送したとして、往復に30~40分は掛かる。行きは分散するだろうが、帰りはお客が短時間に集中する。

公園のロータリー、駐車場に制約

W杯本大会でもシャトルバスの発着は天皇杯と同じ公園東側のロータリーとなるが(※著者追記)、同時発進はかなり無理をして2,3台だろう。県道83号線からラグビー場までの進入路に20台程度を並べることはできるだろうが、駅とスポーツ文化公園を20台が1往復ずつしても、「50名×20台×2回」で乗車可能人数は二千人ということになる。

駅とラグビー場の間に交通規制を敷き、バスの『往復間隔』を詰めるようにするというのも一つの手だろう。ただ熊谷駅は駅のロータリーもかなり手狭で、バスを滞留させるスペースがない。

自家用車で来場する方も少なからずいるだろうが、駐車場からの出車で詰まる構造だ。筆者も観客4千人ほどの大学ラグビー選手権で経験済だが、車を公道へ出すまでに30分近くかかった。

春の高校選抜ラグビーは毎年熊谷で開催され、私も必ず観戦している。シャトルバスが混むことを経験的に知っているので、最後の試合が終わった瞬間にバス停へダッシュする。もしくはスタジアム近くを通る、地元の人しか知らない路線バスに逃げる。しかし3万人が来場したら、そのような細やかな努力では如何ともし難い。

アクセス問題を解決する方法は?

冗談で「妻沼線(東武熊谷線)を復活させればいい」と口にしたことがある。1983年に廃止されたローカル線だが、あの線区が残っていれば輸送に大活躍しただろう。

現状では『熊谷駅まで歩く』ことが現実的だ。例えばイングランド、アイルランドの試合が組まれた場合は缶や空き瓶を捨てるごみ箱を沿道に並べて、気持ちよくビールを飲みながら歩いてもらえれば……。

あとは昼間に試合を組み、スタジアムの近くに飲食や休憩のスペースを設け、試合後に楽しく時間を潰してもらうという方法もある。また太田駅、本庄駅など他の駅にシャトルバスを流すことも検討していい。

2002年のサッカーW杯で同様の懸念をされていた新潟のビッグスワンは、海外のメディアが驚くほどにロスのない乗客とバスの誘導で4万人超の観客を見事にさばいた。埼玉スタジアムで行われる日本代表戦も、毎回6万人近い観客が浦和、東浦和、北越谷の各駅にシャトルバスで散る。人とバスをスムーズに誘導し、長い列がすごい勢いで解消していく。

ハードとノウハウがあれば、3万人という数はバスでもさばき切れる。今から熊谷駅前のロータリーを改修する、市街地部の道路を太くすることは無理だろう。しかし導線のチェック、ボトルネックとなる箇所の改修はやるべきだ。突き詰めるとやれることをやるしかない。ラグビーW杯の組織委員会、埼玉県や熊谷市も当然ながらアクセス問題は認識しているはずだ。筆者はあの難題がどうクリアされるか、不安と期待を込めて見守っている。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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