「インスタ映え」にはご用心 トルコ・イスタンブールでの体験から
3年半ぶりに、トルコ・イスタンブールへ渡航した。前回は冬だったが、今回は夏で、見える景色が違った。
ある老舗店の前に来た。道行く人に目立つ場所にショーケースがあり、色とりどりのプリンが入っていて、人目を惹きつける。果物が食べたくて、赤い華やかな色に惹かれ、イチゴがのったものを頼んだ。
想像していたのは、下の白い部分が杏仁豆腐のようなもので、上の赤い部分はイチゴと、ほど良い甘さのイチゴゼリーみたいなもの。
食べてみたら、上の赤い部分は、イチゴジャムそのものかと思うくらい粘度が高く、甘ったるかった。下の白い部分も、負けず劣らず甘かった。我慢して食べたが、量が多過ぎて、ついに断念。正方形の器は、12cm×12cmくらいの大きさだった。
筆者のインスタグラムには、最近は、旅の風景の写真を載せていて、食べ物の写真は載せていない。インスタに載せるために頼んだわけではないが、見た目の鮮やかさに釣られて注文してしまったのは確かだ。いい歳して見た目の鮮やかさに惹かれて注文した稚拙さと、想像したのと味が違ったとはいえ、食品ロスの問題に取り組んでいるのに残してしまった自分を反省した。
「いいねなんていらない」インスタ映え風潮への批判
2017年8月19日付の東京新聞で、タレントのふかわりょうさんが、インスタ映えばかりを追い求める風潮を批判し、共感を得ていた。読者がツイッターに投稿していた。
2017年8月24日付のJ-CASTの記事でも取り上げられており、ふかわりょうさんの言葉である
が引用されている。
インスタ映えばかりを求める心の空虚さが生み出すものとは
確かに食べ物の見た目は大事だ。色とりどりの美しさは、食欲をそそる。だけど、食べ物の見た目ばかりを求めて写真を撮り、インスタグラムにアップするのは、なんだか、寂しさを感じる。
毎日、自分のお気に入りの笑顔で自撮りしてSNSにアップしている人がいるが、インスタ映えする食べ物を追い求める姿勢には、それと同じものを感じる。適度ならともかく、毎回だと辟易する。そこまでして自分(の外面)に注目し、認めてもらいたいのだろうか。逆に、心の内側の空虚さや不安が見え隠れしてしまう。
精神科医の片田珠美氏は、2017年12月26日付のプレジデント・オンラインに"インスタ映えバカ"のリア充自慢は病気だ 日本も米国も「自己愛過剰社会」にという記事を寄稿し、インスタ映えに熱中する人の自己愛の強さや、米国と日本の「自己愛過剰社会」について指摘している。
外面と「実」と、どちらが大事?
「インスタ映え」の見た目を過剰に求める姿勢。あるいは、売り上げの数字を作ろうとして、無理な納品や発注を強要する姿勢。両方とも、外面や数字、体裁の良さだけは繕うことができるが、反面、食品ロスを生み出しかねないのでは・・・と感じた。