ロンドン五輪から3年、その「宴のあと」 -東京五輪が学べるものは
(「調査情報」9-10月号に掲載された原稿に若干補足しました。)
2020年の東京五輪・パラリンピック開催に向けて、準備が続く東京・日本。
今年、日本の夏は相当暑かったが、ロンドンでは真夏でも日中最高気温は25-26度ほどで、夜には12度ぐらいまで気温が下がる。日本と比較すれば「涼しい」とさえ言えるロンドンの夏が、熱くなったのは2012年のロンドン五輪(オリンピック)とパラリンピックのときだった。
開催前、ロンドン市民は決して全員が熱くなっていたわけではない。ロンドンから遠く離れたイングランド北部やスコットランドに住む人にとっては、「しょせん、遠くの祭り」、「俺達には関係ない」という感情が強かった。
ロンドンは1940年代に五輪を開催済みで、この機会に世界にロンドンがいかにすばらしい都市かを大々的に宣伝する必要はない、第一、巨額の税金を使われたくないーそんなもろもろの思いがあって、五輪招致関係者をのぞいては、大会は「盛り上がらないだろう」と思われていた。
しかし、ふたを開けてみると、世界中からやってきた観光客、観戦者の姿、競技の興奮自体がロンドン市民ならず、英国民全体を熱狂させた。(オープニング動画はこちらから。)閉幕後は大きなイベントを成功裏に開催できたという満足感が広がった。
あの特別な夏から3年経ち、英国、そしてロンドンはどのような状況にいるのだろうか。果たして招致計画が目指したいくつかの目的は達せられたのか。東京五輪が学べるものは何か?
予算内の開催、工事納期が守られた
まずは基本情報を確認しておこう。
第30回オリンピック競技大会は2012年7月27日から8月12日まで開催された。34会場で204の国と地域からやってきた選手1万568人が参加した。金メダル獲得数ランキングは米国(46、金銀銅の総数は104)、中国(38、同88)、英国(29、同65)の順だった。
第14回パラリンピック競技大会は12年8月29日から9月9日まで。164の国と地域から4237人の選手が参加した。金メダル獲得数ランキングは中国(95、金銀銅の総合では231)、ロシア(36、同102)、英国(34、同120)だった。ホスト国の英国は両大会で好成績を残したといえよう。
開催予算だが、招致の際に提出した案では約240億ポンド(当時と現在ではポンドの価値が異なるが、1ポンド=194円と言う現在のレートでは約4670億円)。後に警備費などが入ってふくらんだ。2007年に再計算した結果、93億2500万ポンドになったものの、開会までに予算内の92億9800万ポンドにおさめた。当初から大きく増えたことでずいぶんと批判されたが、競技用施設の土地整備や建築などの工期を守ったこと(英国では珍しい)、予算を一度修正したが最終的には超過しなかったことで、国内外で一定の評価を得るようになってゆく。
財源は政府(62億4800万ポンド)、ロンドン市(8億7500万ポンド)、宝くじ(21億7500万ポンド)。使途は会場用地のインフラ整備、競技施設の建設、警備、交通関連費、公園設置、メディアセンター建設など。
五輪開催でロンドン及び英国がどう変わり、今後どう変わってゆくのかについては、いくつかの報告書が出ている。
文化・メディア・スポーツ省(DCMS)による「大会後の評価」(2013年)、貿易投資庁の「ロンドン2012 -経済的レガシーを実行に移す」(2013年7月)、上院のオリンピック・レガシー委員会の報告書(2013年11月)、「ロンドン2012オリンピック、パラリンピック大会の長期ビジョンとレガシー」(2014年2月、DCMS、ロンドン市)、「生きているレガシー、2010-15年のスポーツ政策と投資」(今年3月、DCMS)などのほかに、四半期ごとに「スポーツ参加統計」(DCMS)、毎年夏に発表される、大会のレガシーについての年次報告書(政府とロンドン市)がある。
「レガシー」(「遺産」、ここでは形のあるもの・ないものを含めて「後に残すもの」という意味)と言う言葉が良く出てくる。北京五輪(2004年)、アテネ五輪(2000年)などの過去の夏季五輪で、使用された競技関連施設が開会後は無用の長物となってしまったことを避けるため、競技の主会場が設置されたロンドン東部の開発という形で次世代以降にも五輪で得られたものを残すためだ。
がらりと変わった風景
2012年の五輪招聘が決まったのは2005年だった。当時ロンドン市長だったケン・リビングストン氏はスポーツにはほとんど興味がない人物。しかし、「ロンドン東部の貧困地区イーストエンドに巨額の投資が行われるには五輪招致しかない」と考えていたという。07年に当初の開催予算が3倍近くにふくれあがると、ロンドン市民に「ほんの少し」税金を多く払うよう呼びかけた。低所得の家庭では一戸当たり「38ペンス」(現在のレートで約74円)分多く払うが、「毎週、同金額のチョコレートを買うようなものだよ。決して無駄にはしない」と訴えた。
ロンドン招致の大きな目玉となった東部の開発はどうなったか。
主会場となったオリンピック・パーク(約226万平方メートル、ハイドパークと同じ大きさ)が位置する東部の4つの特別区(ニューアム、ハックニー、タワー・ハムレッツ、ウオルサム・フォレスト)はロンドンでも最も貧しい地域だった。単純労働の雇用主となってきた製造業が長期的に凋落し、失業率は恒常的に上昇した。
廃棄物・工業用地として荒廃し、土壌汚染などから再利用ができなくなっていた土地を五輪開催のためによみがえらせ、パークを作った。大会終了後は改修作業を行い、2年前から「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」として一般に開放した。これまでに約500万人が来訪したという。
パーク内のスタジアムでは五輪記念大会として陸上競技が行われており、9月からはラグビーワールドカップの開催会場の1つに。来年からはサッカーのプレミア・リーグ参加クラブの1つ、ウエストハム・ユナイテッドが本拠地として使用する。
チームが恒常的に利用するという決定以前には紆余曲折の経緯があった上に、改修経費2億7200万ポンドの中で、ウエストハム・ユナイテッドが負担したのは一時金の1500万ポンドのみで、年間賃貸料も250万ポンドほど。小さな負担額に国民から批判がわき起こった。巨大な年棒を稼ぐ選手を抱えるプレミア・リーグのクラブのために、税金が使われることへの強い反感があった。
交通環境も五輪開催前と後では大きく変わった。パークの最寄り駅ストラトフォード駅を改修し、ストラトフォード・インターナショナル駅を新設。駅に隣接して、巨大百貨店ウェストフィールドを五輪開催前にオープンさせたことで、景観が見違えるほどになった。ウェストフィールドでは1万人の雇用が生み出され、その3分の1は長期的に失業状態だった若者たちだ。
パーク内外には新しいビル、洒落たカフェ、真新しい散歩道などがあり、かつては古タイヤ、使われなくなった冷蔵庫、焼けた車などが散在していた場所とは思えない。
パーク内で選手が宿泊をしていた場所は「イースト・ビレッジ」と名づけられ、2800戸のアパートが建設された。これから20年をかけて、さらに7000戸が建設される予定だ。約4500人が居住している。
メディアセンターの建物があった場所は「ヒア・イースト」として、テクノロジーのスタートアップ用拠点が作られる。17年までにオフィスビルが2つ建設予定だ。
水泳競技のイベントが次々と行われているロンドン・アクアティック・センターは一般市民が廉価で利用できるようになっている。水泳教育の場としても使われており、平均すると週に1500人の生徒が泳いでいる。
現在のロンドン市長ボリス・ジョンソン氏の肝いりで、パーク内には「オリンピコポリス」と名づけられた文化空間が今後数年で形成される。米スミソニアン博物館も含めた複数の美術館・博物館、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション、サドラーズ・ウェルズ劇場などがここに入るという。開発資金の1億4100万ポンドは政府が支給する。
年次報告書によれば、ロンドン五輪が生み出す投資・貿易額の目標は4年間で110億ポンドを目指していたが、開催から2年間ですでに目標を超える額(142億ポンド)を達成した。けん引役となったのは英企業が世界中で開催される大掛かりなスポーツイベントの仕事を任されたためだ。
観光業では開催から4年で英国への旅行者を470万人、観光客が落とすお金を23億ポンド増やす計画を立てた。2013-14年時点でそれぞれ348万人、21億ポンド増加させている。昨年1年間では海外からの旅行客は前年比5%増の3438万人、使ったお金は218億5000万ポンドに上った。
五輪以前からロンドン・シティー空港が東部にあり、ウェストフィールドの建設計画も招致決定前だったが、五輪開催と東部開発を関連付けたことで、開発が一気に進んだ。
パーク周辺はずいぶんと変わったものの、地元関係者は「まだまだ供給される住宅が少ない」と感じているようだ。地元の労働党議員ルシャナラ・アリ氏は、周辺特別区タワー・ハムレットで廉価の住宅「ソーシャルハウジング」(地方自治体が賃貸料を支援する)に入居を希望する人は「2万200人もいる」(英エコノミスト誌、7月25日付)。
五輪開催で地元の雇用が増えたことは確かだが、そのほとんどが一時的なものだという指摘もある。タワー・ハムレットやその西の特別区ニューアムでは、2012年の失業率は12%。現在は9%になったが、ロンドンの中でも高いことに変わりはない。国民統計局(ONS)による英国全体の最新の失業率は、5・5%となっている。
2014年の英国の実質GDP成長率は2・8%で、15年は予想が2・7%(IMF調べ)。2008年のリーマンショックから金融危機につながる流れの後で、厳しい財政緊縮策を実行してきた英政府の経済運営が成果をあげているようだ。こうした中でのタワーハムレットやニューアムの数字はさらに努力が必要な状況といえるだろう。
今後数年、あるいは10年以上経たないと、東部再開発の効果は十分には評価できないかもしれない。新しい居住・仕事空間を作っていくわけだから、時間がかかる。いまだ進行中のプロジェクトだ。
スポーツ振興は十分な成果をあげられていない?
投資や観光ではポジティブな評価がなされているが、国民のスポーツ参加が十分に進んだかと言うとまだまだ不十分と言う声が関係者から聞こえてくる。
「スポーツ・イングランド」(イングランド地方の地域レベルでのスポーツ参加を振興する第3者機関)の調査によると、今年4月時点で週に一度はスポーツに従事する16歳以上の人は1549万人だった。五輪大会終了直後の2012年10月では、1589万人で、微減した。また、16歳から25歳の若者層では、2009年10月時点で390万人が週に一度はスポーツをすると答えたが、今年4月では380万人となった。慈善団体「ユース・トラスト」の調査でも、小学生の子供たちが体育の授業に参加する時間が減少していた(2009-10年時点と2013-14年時点での比較)。
五輪関係者・政府は、オリンピック・パラリンピックの開催を通してスポーツがより身近になり、参加する人・頻度を増やすことを、東部開発と並ぶ2大目標の1つとしていた。
五輪開催時にオリンピック担当大臣だったテッサ・ジョウエル議員は、BBCのラジオ番組(7月6日放送)の中で、子供たちの学校での運動時間が増えていないことについて「せっかくの五輪の機会が無駄になった」と述べた。その理由として、議員は学校教育の場でスポーツを振興するために使われたプログラム(スクール・スポーツ・プログラム)が政府の財政緊縮策の一環で2010年に廃止されたことを指摘した。
これに対し、政府側は「地域レベルでのスポーツ振興に過去5年で10億ポンドを拠出している。2005年の招致が決定した時よりも、140万人の国民が毎週スポーツに参加している」と答えている(7月6日、BBCニュース)。
一方、左派系ガーディアン紙は社説(7月5日付)で、政府が地域のスポーツ振興にあれこれ言うのはおかしいと指摘している。政府の役目は公園を作ったり、テニスコートを準備したりなど、環境を作るだけでいいのでないか、と。そうすれば国民は勝手に公園を走ったりするのだから、と。
ロンドン五輪開催から3年経って、話題になっているのが「いかに心地良い住・職空間を作るか」「貧困地域の開発は十分だったか」「国民のスポーツ参加は進んでいるか」「税金が無駄に使われていないか」であることが、ロンドンらしい感じがする。五輪+パラリンピックを、国民全体が長い間恩恵を受ける機会にするべきという共通認識がある。
3年前の夢のような競技の日々は過ぎたが、あのときの記憶は消えておらず、未来に向けてレガシーを残すための努力が続いている。