なぜアルメニアが負けたのか。ロシアはなぜ同盟国に援助しなかったのか: ナゴルノ=カラバフ紛争
ナゴルノ=カラバフ紛争が、終了した。実質上、アルメニアの敗北、アゼルバイジャンの勝利で終わった。
ナゴルノ=カラバフとは、アゼルバイジャン領内にありながら、多数派のアルメニア人勢力が実効支配する土地だ。戦闘は9月27日から44日間続いた。
アゼルバイジャンとアルメニアの停戦合意に基づいて、16日までにロシア軍の平和維持部隊が現地に展開、双方の攻撃は完全に停止したという。
ここで、情勢を追ってきた人は「???」と思う人が多いのではないだろうか。
よく日本語では、「アルメニアとロシア」 VS 「アゼルバイジャンとトルコ」という対立だと説明されてきた。前者はキリスト教、後者はイスラム教という対立軸がある。
どうしてアルメニアが負けたのだろうか。アルメニアの味方であるはずのロシアはなぜ介入しなかったのか。
アゼルバイジャンはロシアの敵ではない
当初からこの問題の難しさは、確かにアルメニアはロシアの同盟国だが、アゼルバイジャンは決してロシアの敵ではなかったことにあった。
単純にキリスト教とイスラム教の争いと見てとると、大勢を見誤るだろう。かつてソ連は、世界を二分した片方の雄であった。旧ソ連の国々は、単純には語れない歴史をもっている。
フランスの「Courrier International」の解説によると、ロシアは、同盟国であるアルメニアに軍を送って、助けようとはしなかった。それは、両国ともロシアにとって重要だったからだという。
アゼルバイジャンは確かに、イスラム教の国だ。しかし、ロシアに敵対的だったグルジア、ウクライナ、モルドバのような他の旧ソビエト共和国とは異なるのだ。
彼らのようにロシアを敵視したことがなく、国際舞台で反ロシアのレトリックを実践する政府を持ったこともない。首都バクーはロシアとの決別を誇張したことはないし、ロシアからの解放を最大の問題にしたこともないし、ロシアとの別離に成功したことを誇りに思ったこともない。
ソ連が崩壊した後、新国家の建設は、反ロシアではなく、ごく自然に行われた。アゼルバイジャンの反植民地主義的な言説は常に穏健であり、アゼルバイジャンの人々とロシア人、そして(ソ連成立以前の)ロシア帝国の他の人々との200年以上に及ぶ共存の良い面と悪い面を認めてきた。そして、すべての悪事がロシアのせいにされたことはない。
ソ連は第二次世界大戦で、アメリカやイギリス等の連合国側で戦った。ロシアに敵対的な他の旧ソ連の国々のように、このことに対して別の解釈をすることなく、大戦の英雄をたたえ、大戦勝利のお祝いをする。これらの行為は、プーチン大統領にとって不可欠なのだ。
とはいっても、独立アゼルバイジャン国家の樹立と、旧ソビエト共和国からの解放と正当化は、急速に進んだ。レーニンの記念碑やソビエトの指導者の名前がついた通りが消滅して、もうかなり長い時間が経つ。
冷戦崩壊の90年代、同地に住んでいた3分の2のロシア人は、すぐに同地を去ったという。
アルメニア側の問題
さて、一方の負けた側のアルメニアについて。
アルメニアのパシニャン首相はフェイスブックで、今回の停戦合意の調印は「信じられないほどの苦痛」だったとしながらも、アゼルバイジャンの前線の進展に直面して必要な決定だったとし、軍部からも要求されていたと述べた。「これは我々にとって大失敗であり、大惨事だ」という。
ロシアとアルメニアは防衛条約で結ばれているが、ロシアは過去にナゴルノ=カラバフには範囲が及ばないと主張していた。だから、アゼルバイジャンの攻撃が、アルメニア国内や国境に及ばない限り、ロシア軍が援助しないのは条約違反ではないし、法的には非難されるべきことでもない。
アルメニアの首相は、戦闘はアルメニア国境に近づいているのだと主張した。そして、トルコがアゼルバイジャンを支援していると繰り返し非難していた。そして、ロシアとの良好な関係と、1997年から結ばれた友好・協力・相互扶助条約のほうを引き合いに出して、モスクワのプーチン大統領に助けを求めたという。
「France24」に掲載されたAFPの記事によると、この合意が必要だったのは、「攻撃はますます激しくなっており、アルメニアには対処する人的・物的資源が不足していたからだ」という。国は「最悪の事態を待つよりも、片膝をついて、この合意に署名することを好んだ」と、フランスのSciencePoの教授で研究者であるGaidz Minassian氏は述べた。
合意が発表された直後、数千人の怒りに満ちたアルメニア人のデモ隊が、政府本部の外に集まった。2018年に民衆の反乱によって政権に就いたパシニャン首相に対して「売国奴」「辞任」と叫んだ。数百人が敷地内に入り、窓を叩き割り、事務所を荒らした。国会議事堂の内部も同じ運命を辿ったという。
EUのほうを向いていた事も
アルメニアは、ロシアとのつながりが深く、2015年に発足したロシアとのユーラシア経済連合にも加盟している。これは大きく言えば、欧州連合(EU)に対抗する組織と思っていいだろう。
現在、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、アルメニア、キルギスの5カ国が加盟している。このように、ソ連やこの同盟はイスラム教国を内包している。(ちなみに、同連合は中国の一帯一路との連携が協議されている。環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に反発したものだ)。
しかし、アルメニアは当初、これから発足しようというロシアとの連合(当時は関税同盟)ではなくて、EUと加盟候補の交渉をしていたのだ。リトアニアの首都ヴィリニュスで、EUとの連合協定・自由貿易協定に向けて交渉をしていたのだった。
この協定は、将来EUの加盟国候補になることを目標として結ばれる。つまり、EUに加盟したい国にとっては、この連合協定を結ぶことが、初めの第一歩となるのだ。ウクライナは、この協定をEUと結んだことがもとで、クリミア併合問題と、国内へのロシアの介入を招いた。
ところがサルキシアン・アルメニア大統領は、突然にEUではなくロシアとの交渉に切り替えた。このことは欧州を驚かせた。
この乱暴な方向転換は、安全保障のためだと言われていた。アルメニアは、アゼルバイジャンやトルコのような敵対国に囲まれている。ナゴルノ=カラバフ戦争のため、彼らの関係は当時から凍り付いていた。ロシア軍がアルメニアに駐屯していることは、必要不可欠だったからだ。
しかし当時、ロシアとの連合に加盟することには、強い反対の声があがっていた。
つまり、ロシアの経済同盟に加盟した今は、昔からのロシアの良きパートナーであるように見えるが、常にロシアべったりというわけでもない。
法的にはロシア軍が介入して同盟国を助けなかったのは非難されるべきことではないとはいえ、歴史的経緯や国民感情はまた別の問題である。ロシアは助けてくれなかったという今回の措置が、アルメニアでどのような対ロシア感情を引き起こすのか、注目に価する。
また、停戦の経緯の分析には、シリアから送られていたというイスラム過激主義者の動向も、見るべきポイントになるだろう。
今回は、アゼルバイジャン(とトルコ)の事実上の勝利という形で終わった。
しかし、今回の停戦合意はナゴルノ=カラバフの帰属問題には全く触れておらず、本質的な紛争解決は先送りされている。
プーチン大統領は、国営テレビが17日放映したインタビューで、問題が先送りされたことを認め、「将来の指導者や(紛争解決)プロセスの参加者が解決することになる」と述べたという。
【参考記事】(AFP=時事)住み慣れた村を追われる人々:アゼルバイジャン、アルメニア人退去期限を25日に延期