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安倍元首相の葬儀が「国葬」に 19発の弔砲を轟かせた吉田茂のケースの検討など内容や過去の事例

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
国葬は戦後、吉田茂・昭和天皇に次ぐ3人目(写真:ロイター/アフロ)

 安倍晋三元首相の銃撃事件の衝撃がいまだ収まらないなか、ここへ来て葬儀を国葬にすると岸田文雄首相が発表しました。

そこで、この「国葬」のそもそもや過去のケースについて基本的な解説を試みてみます。

「国葬」に法的根拠はない

 内閣(政府トップ)や衆参両議院が関わる「公葬」の1つ。「公葬」自体、どのように執行するかという明確な決まりは存在せず。故人および親族の遺志や決定時の首相判断に大きく左右されます。

 国葬に関しては戦前は「国葬令」という法律があって全額国費でまかなわれていました。この「令」とは勅令(=主権者たる天皇の命令)で当時は法律と同様の価値があったのです。

 戦後、国民主権に変わって国葬令も廃止されました。代わりの法も制定されていないので「決まりは存在しない」となるのです。今回の安倍氏の国葬でも注視されたポイントです。

 この点について岸田首相は2001年にできた内閣府の設置法4条の「所掌事務」の1つとして「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること」があるのを根拠としています。内閣府は「省」の連携や、首相が全体を見渡して管理するのがふさわしいと思われる行政サービスを担当する役所でトップは首相。ゆえに閣議決定で行えるとしたのです。

天皇のみ皇室典範での国葬=大喪の礼

 例外が天皇の亡くなった時で、皇室典範(=法律)で「大喪の礼を行う」と規定。これが国葬に相当するため、1989年に崩御した昭和天皇は国葬でした。

 この時も大変でした。ご不例の時点で没後の検討をするのは不謹慎と宮内庁などのごく一部が密かに研究を重ねました。何しろ先例が大正天皇をお弔いした1927年までさかのぼり、当時の資料が十分に見つからなかった上に、その時は国家神道の色彩が強い旧皇室典範に基づいていたので、そのままの再現では後述する憲法の政教分離原則に触れてしまうため工夫に工夫を重ねて実現したのです。

吉田茂の国葬が実現した背景

 他に戦後、国葬で遇せられたのは1967年の吉田茂元首相だけ。同年10月20日に89歳で死去の一報を聞いた佐藤栄作首相は外遊を切り上げて帰国。強い要望で臨時閣議を開いて国葬を決定。31日には実施されるという早業だったのです。ちなみに吉田は佐藤の政治の師匠で派閥の継承者でもあります。

 この時は法的根拠がないとの問題もさることながら、ことが葬儀だけに現憲法の政教分離原則に反する可能性が一番のネックでした。日本共産党など左派は憲法違反と訴えます。

 何しろ佐藤自身が日記で「先例もなく参考になる様な事もないので一寸心配した」と告白しているほど。当日は政府が葬儀時間の午後2時10分に「国民は黙とうを捧げて下さい」とPRし、駅のスピーカーからも盛んに「黙とうの時間です」とのアナウンスが繰り返されました。官庁や学校は半休です。

19発の弔砲・巨費投入?・黙とうの呼びかけ

 遺骨が会場の日本武道館へ到着するや自衛隊が19発の弔砲を轟かせ、皇太子ご夫妻(現在の上皇・上皇后さま)も献花。高卒国家公務員の初任給が1万8400円の時代に投じた国費は1800万円。過半が「飾りつけなど」に計上され、自衛隊員らの「出演」費用は入っていなかったため「実際は1億円以上かかっているはず」と巨費を疑う声も。

 数万人が献花の列を作った半面で当時の新聞記事などをみると「(駅前で)黙とうしている人はなかった」「(スピーカーの呼びかけに)足をとめる人はごくわずか」とも。無理やり喪に服させられるのに嫌悪感を持ったようです。

 強引とも取れる異例な式典であったのは確かで、以後は行われなくなっていたのです。

「国民葬」を経て「内閣・自由民主党合同葬」が定着した経緯

 次に国葬が取り沙汰されたのが他ならぬ75年に死去した佐藤元首相。ただ「吉田国葬」の際の反発も考慮されて内閣と自民党に加えて氏の功績であった沖縄返還などの関係者ら「国民有志」が共催する「国民葬」として執り行われました。

 80年、史上初の衆参同日選挙で陣頭指揮を採っていた大平正芳首相が急死。同情票もあいまって戦前の予想を覆す大勝を自民党にもたらしました。死去までの自民は事実上の分裂状態。それが急に「弔い合戦」の旗の下でまとまってまさかの勝利をもたらしてくれたので文字通り命をかけた結果です。戦後初の現職首相の死でもあったため国葬レベルも検討されたものの「内閣・自由民主党合同葬」に落ち着きます。これが今日までの先例となりました。

 以後はこの「内閣・自由民主党合同葬」で首相経験者が送られるのが通例となります。亡くなられた順で福田赳夫。小渕恵三、鈴木善幸、橋本龍太郎、宮澤喜一、中曽根康弘の各氏が該当。投入される国費は半額です。

全額国費および勲等との関連は?

 国葬が他のパターンとハッキリ異なるのは「全額国費」というところだけです。安倍元首相が歴代よりワンランク上の国葬にふさわしいとする理由は史上最長の在任期間を記録しただけではなく、大平氏とも似た悲劇性も勘案されていましょう。

 葬儀のありように勲章の位は「関係ない」というのが内閣府の見解ながら最高位の勲等である大勲位を生前に受章した首相は吉田、佐藤、中曽根の3氏しかいません。連続性はないとはいえ戦前の国葬令で国葬された首相経験者は皆生前に大勲位をいただいています。

 国葬のニュースより地味でしたが安倍元首相が没後に最高位の勲章「大勲位菊花章頸飾」を授与すると決定しています。これも先の3氏に次ぐ4人目です。

 首相は退いたとはいえ現職の国会議員で自民党最大派閥の領袖と現役感バリバリであった安倍氏は長らく授与式で勲章を手交する側にいました。政界引退後に大勲位は確実でしたが不慮の死で没後追贈。やはり「関係ない」わけでもなさそうです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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