禁断のイメージが強い「卍」の性愛に挑む。「最後は別れが辛すぎて涙腺崩壊で涙が止まらなかったです」
女性同士の性愛に焦点を当て、いまだ「禁断」といった背徳的なイメージの強い谷崎潤一郎の小説「卍」。
1928年に発表されてから、これまで何度も映画化されてきた同作が、令和のいま再びリメイクされた。
となると、これまで何度も映画化されてきた原作を、なぜいま再び描くのか?いま、改めて映画化する意味は果たしてあるのか?
そう疑問を抱くことはある意味、素直な反応かもしれない。
でも、いまだから「卍」なのかもしれない。むしろいまこそ「卍」ではなかろうか。
令和に届けられた「卍」を前にすると、そんな感想を抱く。
禁断はもはや過去で、「卍」という物語の世界が、いまという時代にひじょうにフィットしていることに気づかされる。
果たして、令和のいま「卍」と向き合った俳優たちは何を感じ、何を思ったのか?
W主演のひとり、新藤まなみに訊くインタビューの番外編。
これまでに収められなかった話を続ける。番外編全三回。
光子の本心がもっともあふれ出るのがラストシーン
前回(番外編第二回はこちら)、光子と園子の感情がぶつかり合い、ひとつの何かの終焉でもあるラストの場面について語ってくれた新藤。
実は、このシーンは本人としては演じる段階から園子への思いがあふれ出していたが、監督からそれをグッとこらえるよう指示されていたという。
「光子が自由奔放に見えて、実は言いたいことがあってもいわずに飲み込む。
周りのことをおもんばかって自分を押し殺すときがある。
その苦しさや悲しみが理解できて愛おしくなったと前回お話ししましたけど、その光子の本心がもっともあふれ出るのがラストシーンなんです。
だから、このラストシーンに関しては、もう撮影本番に入る前から気持ちが高ぶってしまっていて……。
結局、光子は園子のことを思って園子の前から消える選択をする。
ほんとうは園子と一緒にいたいのに、自分の気持ちを押し殺して、そう選択する。
園子が自分のことを思ってくれていることはわかっている。でも、そうする。
だから、この『卍』の関係で実は一番傷ついているのは光子じゃないかと思うんです。
演じる身としては、光子の張り裂けそうな気持ちが痛いほどわかる。
なので、もう本番前ぐらいからちょっと涙がこらえられないぐらいになっていて。
シーンが始まった瞬間から、もう涙腺が崩壊して涙が止まらなくなってしまったんです。
そうしたら、井土監督が『ちょっとここは泣かないでいこう』『光子は涙はみせない方向でいきたい』と指示が出て。
それでグッとこらえることにしたんです。
出来上がったシーンをみて、井土監督がなぜそうしたのかわかりました。
あそこで涙をこらえることで、より光子が天真爛漫に見えるけど、実はすごく相手のことを思える人物であることが際立つんですよね。
でも、当日のわたしはもう気持ちが入ってしまっているから、なかなか涙が止まらなかったです。
ほんとうにどうにかこらえて、カットがかかった瞬間に、ダーッと涙をあふれ出させて。また本番入って我慢して、カットがかかるとまた涙があふれ出して、ひとしきり泣く。これを繰り返していました(苦笑)。
最後はうしろ姿なのでみえないからよかったんですけど、あのときはほぼ号泣状態でした。
あのシーンは撮影として最後に撮ったシーンで。
あらゆる意味で、『もうこれでほんとうにおしまい。もう園子さん=小原さんとお別れになるんだ』と思うと、いろいろな感情が押し寄せてきてしまって、涙が止まらなかったですね(苦笑)」
この経験を次に生かして、次の作品ではさらにステップアップできるように
今回の光子役の経験をこう振り返る。
「まず日本で広く知られている『卍』にチャレンジできるチャンスをいただけたことに感謝しています。
みなさんが知っている原作で、すでに映画もいくつか発表されている。
確実にファンのいる作品ですから、いま改めて取り組むことへのプレッシャーはありましたけど、思い切ってトライすることができてわたしとしては大きな経験になりました。
女優としてもう一皮むけたかなと思っています。
この経験を次に生かして、次の作品ではさらにステップアップできるように頑張りたいです」
(※番外編インタビュー終了)
映画「卍」
監督:井土紀州
脚本:小谷香織
出演:新藤まなみ 小原徳子
大西信満 黒住尚生 明石ゆめか ぶっちゃあ(友情出演)/仁科亜季子
全国順次公開中
筆者撮影以外の写真はすべて (C)2023「卍」製作委員会