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長谷川穂積と、「最高の別れ方」と。

二宮寿朗スポーツライター
2005年4月、最強ウィラポンに勝利して長谷川穂積の「最強伝説」は始まった(写真:ロイター/アフロ)

プロボクサーは、やめどきが難しい。

自分が納得できるまで、と言ってもキリがない。負けていれば次は勝ちたいと思うだろうし、勝ったら勝ったで先を目指したくなる。本当にやり尽くせたかどうかは判断しづらいし、そもそもストイックじゃなければ殴り合うスポーツなど続けられない。

9月に3階級制覇を果たし、5年5カ月ぶりに世界の頂点に返り咲いた長谷川穂積は17年前にプロデビューした11月22日に引退を決断したという。たまたまその日になったのではなく、自分のなかで熟考の区切りを「記念日」に設定したのだと思えた。

あれは5年前のこと。

ジョニー・ゴンサレスに敗れてWBC世界フェザー級王座から陥落して進退が注目されたなかで彼は試合の4カ月後に自身のブログで現役続行を宣言した。<自分がどれだけのボクサーか確かめるために。まずは目の前の一戦を>とつづられていた。

この時期に話を聞く機会があり、彼はボクシングを「恋人」にたとえてこう語った。

「僕自身、永遠にボクシングをし続ける人間だと思っていました。でもゴンサレスに負けたことで『いつかはやめないといけないんだ』と現実を知った。ボクシングはめちゃめちゃ好きなんですよ。でも別れるときは来る。絶対に来るんです。だから『むちゃくちゃ好きやった、世界一好きやった』と言って別れたい。終わりを探しているわけじゃない。でもそう遠くもないということ。自分が気持ち良く納得して終わる状況をつくりたい」

最高の別れ方を求めて。

2014年4月にはキコ・マルチネスの持つIBF世界スーパーバンタム級王座に挑戦し、7回TKO負け。だが長谷川が下を向くことはなかった。その後、オラシオ・ガルシア、カルロス・ルイスという2人の世界ランカーに判定勝ちして世界再挑戦の機会を待った。

今年9月、ラストチャレンジと位置付け、ウーゴ・ルイスの持つWBC世界スーパーバンタム級王座に挑んだ。

その9ラウンドは、伝説になった。

強打で鳴るルイスの左アッパーを食らってぐらつきながらも反撃に出ていく。パンチの回転数を上げ、ルイスを押し返していく。ひるんだ王者に、たたみかける挑戦者。筆者の周りにいたほとんどの人が席から立ち上がり、長谷川の名を叫んでいた。

ラウンドが終了してコーナーに戻った王者はイスから立てず、歓喜の瞬間は訪れた。

試合から1カ月後、雑誌のインタビューで長谷川に会った。

まだ進退について結論を出しておらず、現役を続けるかどうかはこちらも触れようとは思わなかった。

5年前、ボクシングを恋人にたとえた話を持ち出すと彼は「ハハハ」と笑った。

ただこれだけは、聞いておきたかった。

ボクシングに対してむちゃくちゃ好きであるかどうか伝えられたか、を。

長谷川は静かに言った。

「伝えられたとは思います。(ボクシングと)ずっとは、一緒におれない。負けてやめるのもひとつの別れ方やと思うし、今回みたいに、ホンマむちゃくちゃ好きやなと伝えて、好きで好きでしゃあないわって別れるのも一つ。でも別れ方はいまだに考えているんです。

ボクシングって、極めることのないスポーツだと思うんですよ。もう完璧だなんて思えることがないんでね」

世界一好きやったと、これほどないシチュエーションで伝えられたのに、別れで悩んでいる彼がいた。

長谷川穂積らしいなと思えた。

未練のたぐいではない。勝ったことで「最高の別れ」が、もっと先に待っていると思ったからではなかったか。WBO同級王者で5階級制覇を果たしたノニト・ドネアともし統一戦ができるとしたら――。彼の心に、そのような構想があってもおかしくはない。

しかし11月4日にドネアは王座から陥落してしまう。そして彼はデビューした「記念日」に、ボクシングとの別れを決断する。

引退会見の席で彼は「素晴らしいボクシング人生」と胸を張った。

涙もセンチメンタルも要らなかった。ボクシングと最高の別れ方をした男は、実に晴れやかだった。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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