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ソロモン諸島と、フットボールと、巨大スピーカー

二宮寿朗スポーツライター
ソロモン・ウォリアーズでOCLに出場も3連敗 (写真はPhototek NZ )

 弱視のフットボーラー、松本光平がソロモン諸島でのチャレンジを終えた。

 今年3月、OFCチャンピオンズリーグ(OCL)に出場するソロモン諸島の首都ホニアラにあるソロモン・ウォリアーズに入団。5月にタヒチで集中開催されたOCLではグループステージ3連敗に終わり、決勝トーナメントに駒を進めることができなかった。

 松本は両目を保護するゴーグルを身につけて主にサイドバックとして3試合すべてピッチに立った。ヘカリ・ユナイテッド(パプアニューギニア)との初戦を0-2で落としたことが痛かったという。

「序盤から試合のペースを握って決定機もあったんですけど、点がなかなか入らなかった。そんななかで後半にパパッと2点を取られてしまって、凄くもったいない試合でした」

 レワ(フィジー)との2戦目は2-3で競り負けて、最後は今回優勝したオークランドシティ(ニュージーランド)に0-5と大敗。レワとオークランドシティは以前、松本が在籍したクラブでもある。オークランド戦ではキャプテンマークを巻いてチームの先頭に立って奮闘しながらも各大陸のクラブ王者が集うFIFAインターコンチネンタルカップ(12月開催)出場の目標は叶わなかった。

 大変だったのはここからである。

「敗退が決まってからビザの関係でソロモンに戻る飛行機に乗り損ねて、翌日にタヒチを出る予定が結局3週間、滞在することになりました。教会の施設みたいなところにチームのみんなで雑魚寝していたのですが、水と食料の供給がストップしてしまって。そこからは自給自足の生活でしたね」

 クラブのオーナーからチームに10万円ほど支給されたという。何に使うか選手たちで会議を行なった結果、なぜか水や食料ではなく音楽を流すスピーカーを購入。いやいや水と食料でしょ、とつぶやく松本の声がチームメイトの耳に届くことはなかった。

「ソロモンには売ってないからとの理由でした(笑)。びっくりするくらいでっかいスピーカー。陽気な音楽が流れるようになって、みんなノリノリになりましたね」

 宿舎は海に面し、敷地内にあるものは食材にしてもらっても構わないとの許可を得ると、チームメイトは狩りに出掛けて食料を調達してきたという。松本の担当はココナッツの皮をむくことだった。

「飲料水がないので、集めたココナッツから水分を摂らなきゃいけない。むき方も皮がメチャメチャ硬いので刺してひねってと、これがなかなか難しい。ただニューカレドニアのチームにいたときにやっていたので、その経験が活きました(笑)。ココナッツは天然のスポーツドリンクと呼ばれていて、朝、昼、晩と1個ずつ飲んでいました。狩りのほうもチームメイトがやってくれるので思ったほど水と食料に困ることはなかったです」

 それでも苦笑い交じりに「痩せました」とも。サバイバル生活によってメンタルが鍛えられたことをプラスに変換できるあたりが何とも彼らしい。

OCLではゲームキャプテンも務める。チームメイトからの信頼も厚かった(写真はPhototek NZ)
OCLではゲームキャプテンも務める。チームメイトからの信頼も厚かった(写真はPhototek NZ)

 松本はオセアニアを中心に活動するフットボーラーだ。ニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに所属していた2020年5月、コロナ禍で選手寮のガレージにてトレーニングをしていた際、ゴムチューブの留め具が外れて目に直撃する事故に遭った。右目は見えなくなり、左目も「プールの水に浸かっておぼろげに見えるくらい」まで視力を落とすことになった。それでもめげることなく、フィジカルを鍛え、視界から得るわずかな情報を最大限に活かすべく脳トレなどに励み、食事や栄養管理も徹底した。フットサルに挑み、2022~23年シーズンにFリーグ2部デウソン神戸に加入して視覚障がいを持つ初めてのFリーガーとなった。するとリーグ全体で13番目となる9ゴールを叩き出して、周囲を驚かせることになる。次はサッカーへの復帰だと23年夏に古巣であるハミルトンと契約し、主軸として活躍。シーズン後に契約延長をオファーされながらも次のチャレンジを模索するべく退団に至った。

 オセアニアのリーグは6カ国目。ソロモンでの生活は刺激的な毎日でもあった。

 高音多湿の環境下のため、練習は何と早朝6時からだとか。国内リーグの代表的なクラブであるウォリアーズのレベルは想像以上に高かったという。

「オセアニアの選手は体が大きくて、サッカーもフィジカルに頼るイメージがあると思うんです。でもソロモン・ウォリアーズはパスをつないで足もとの技術を大切にするチームで、体のサイズも自分くらいの選手が多かった。ロングボールも蹴らないし、面白いサッカーをするチームでした」

 OCLのみの契約ながら、国内リーグも計5試合に出場した。ソロモン諸島のサッカー熱は高く、スタジアムはいつも観客で溢れた。

 生活拠点は、オーナーから用意された大学の構内にある宿泊施設。とはいっても、そこで寝泊まりしているのは松本一人だったという。練習が終わって施設に戻ってくると、80mほどある廊下でダッシュやシャトルランなど個別トレーニングに取り組んだ。

 宿舎といってもキッチンはなく、食事は大学構内の学食で済ませていた。

「メニューがいろいろとあるわけではなくて、バナナにカレー味とかついていて、それにライスがついているだけ。これを昼と夜、食べるんですけど、アスリートとしての栄養としては十分じゃないため市場に行って野菜とか魚を買うんです。魚はチームメイトにさばいてもらって、電子レンジで温めて食べていましたね」

 日本から個人スポンサーや知り合いにサラダチキンや豆腐など食料を送ってもらったものの、しっかり届いたのは1回だけだったという。

「国際郵便と国際宅急便で何度か送ってもらったんです。でもはっきりした住所がないためか、1度届いたのもたまたまって感じでした。受け取るにもこちらが取りに行かなきゃいけないし、日本から届けてもらうのは断念しましたね」

 しかしながら、生活面で困ったという感覚はない。ニューカレドニア時代には藁の家で生活していたこともある。停電も断水も想定内にしているから別にストレスにもならない。サッカーをやれているだけで幸せだという感覚が彼のなかにはある。

 視力がほぼないため、歩道にいくつもある「穴」には注意しなければならなかった。それでも白杖を使わずに済んだ。これまで取り組んできたトレーニングの成果もあって、見えなくとも感覚でいろんなことが「何となく分かるようになった」からにほかならない。

 ソロモン諸島でのチャレンジを終えて日本に帰国してからも休むことなく個人トレーニングに励んでいる。35歳ながらフィジカルは衰えておらず、次なるチャレンジに向けて意欲的だ。Jリーガーになる夢もあきらめていない。それが難しいようであれば再びオセアニアから世界を目指すことになる。

「どの国でサッカーをやろうとも目に対する不安はまったくありません。目をケガする前と同じくらいのレベルでやれていると感じているので」

 決して自分を見失うことのない松本光平のチャレンジはこれからも続く――。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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