バヌアツに伝わる不思議な宗教、ジョン・フラム信仰
ヨーロッパの到来とカストムの逆襲
タンナ島、1774年。
ジェームズ・クック船長の冒険譚は、この南の楽園にもヨーロッパ人の影を落としました。
次にやってきたのは捕鯨業者、白檀取引商人、そして宣教師たち。
彼らは島民にタバコやナイフを与える一方で、踊りやカヴァの儀式を「野蛮」と見なして破壊しました。
これに対して、島民たちは抵抗と受容を繰り返しながら、やがて宣教師や植民地行政に反旗を翻す新たな信仰を生み出したのです。
その名はジョン・フラム。
1939年、グリーン・ポイントに現れた「ジョン・フロム・アメリカ」と名乗る謎の存在は、島民に「カストムへの回帰」を説きました。
宣教師や植民地行政の嘘を暴き、白人たちの貨幣や秩序を拒絶するように呼びかけたのです。
やがてジョンはカラペラムン神の化身と見なされ、島民の信仰を集めました。
この運動は白人社会への反発を象徴するだけでなく、性的自由を求める女性や民族主義的な村長にも支持されたのです。
ジョン・フラム信仰は急速に広まり、1941年には信者たちが貨幣を捨て、伝統的な祭事に没頭するようになりました。
植民地行政はこれを反乱とみなし、指導者たちを逮捕しましたが、ジョンの伝説は消えません。
彼は精霊であり、山の中で見えない飛行機を操り、いつの日か島に物質的な豊かさをもたらすと信じられました。
不思議なことに、ジョンが「アメリカの援助」を約束した直後、アメリカが第二次世界大戦に参戦します。
偶然か、それとも神秘の力か。タンナ島の空には、今もジョン・フラムの物語が漂っています。
島民が踊るカヴァの儀式の中で、彼の声がこだまするのかもしれません。
赤十字が示した新たな信仰の形
太平洋戦争の最中、静かだったニューヘブリデス諸島の地にアメリカ軍が現れるや否や、その運命は一変いたしました。
当時、島民の生活は自給自足の農業が中心であり、道路も飛行場もない素朴な世界でございました。
ところが、1942年初頭に米軍が南太平洋の基地設営を開始すると、物語の歯車は急速に回り始めます。
飛行場や倉庫、映画館、レストランが次々に建てられ、その規模は島民の想像を超えておりました。
そんな中で、赤十字のシンボルを纏ったアメリカ軍の姿は、島民にとって物質的豊かさの象徴であり、ジョン・フラムという新たな信仰の核ともなりました。
かの地で語られる「ジョン・フラム」は、赤十字に刻まれたアメリカ軍の姿や物資をもとに、サンタクロースや洗礼者ヨハネといった伝説の存在と結びつき、神話へと昇華されたのでございます。
アメリカ軍の規律は厳しいと聞き及んでおりましたが、実際のところ、現地住民との交流はむしろ盛んでございました。
タバコや衣類を配る軍人、写真を一緒に撮る軍人たち――その振る舞いは英仏の植民地統治者とはまるで異なり、島民に「友情」の幻影を見せたのでございます。
しかし、その「友情」は一方的で、押し付けがましさも否めません。
それでも、アメリカ軍の黒人兵たちが白人兵と同じ制服を着て食事を共にする姿は、島民の目に強烈な印象を残しました。
また、労務部隊に志願したタンナ島の人々は、アメリカ式の労働やテクノロジーを目の当たりにし、文明の違いを実感したといいます。
兵舎の建設、飛行場の整備、さらにはサイレンが響く緊迫感――これらすべてが、彼らの生活に戦争という異質な体験を刻み込んだのでございます。
こうして島に降り立ったアメリカ軍は、戦争の影響を超えた文化的な衝撃を島民にもたらしました。
その残響は、ジョン・フラムという信仰を通じて、今もなおタンナ島の人々の心に息づいているのでございます。
ジョン・フラムの夢を見る男
1943年、タンナ島北部のイトンガ村に暮らす男、ネロイアグはある日不思議な夢を見たそうです。
その夢にはジョン・フラムという謎の人物が現れ、自らが米国大統領フランクリン・ルーズベルトと同盟を結んでいると告げたといいます。
フラムの命に従い、信者たちを集めたネロイアグは、滑走路を作り始めました。
それはアメリカ軍の飛行機を迎えるためであり、彼らは昼は土を掘り、夜は踊り明かしました。「ジョン・フラム万歳!」と叫びながら。
しかし、この奇妙な祝祭を続ける村人たちを、植民地当局は黙って見過ごしません。
駐在官ニコルは警察を送りましたが、ネロイアグが組織した「警察隊」の激しい抵抗に遭い撤退を余儀なくされます。
この時点で、彼らの数は島の人口の一部を占めるほどでした。
10月、ネロイアグはニコルに呼ばれて話し合いに向かうも逮捕され、その知らせは瞬く間に信者たちを動かしました。
「ネロイアグを返せ!」と続々と集結し、彼らはついに棍棒と銃を手に取り、島の秩序を揺るがす事態となったのです。
騒動は、アメリカ人将校の到着や機関銃による威嚇射撃を経て一応の収束を見ましたが、信仰そのものは根絶できませんでした。
ネロイアグはポートビラで収監され、苛烈な拷問を受けたとも伝えられています。
結局、精神を病んだ彼は島に戻ることなく姿を消したのです。
しかしその後も信者たちは彼の存在を語り継ぎ、ジョン・フラム信仰はむしろ熱を増しました。
ニコルは生涯最後の報告書でこう述べています。
「これは一部族の騒ぎではなく、島全体の信念に支えられたものだ」と。
そして彼自身もまたジョン・フラム神話の中で、宿敵として永遠に記憶されることとなるのです。
参考文献
Bonnemaison, Joel; Penot-Demetry, Josee (1994). The Tree and the Canoe: History and Ethnogeography of Tanna. University of Hawaii Press