消えた船ワラタ!豪華客船が辿った謎の航海
スコットランドのホワイトインチにて、バークレー・カールの手で生まれた豪華客船「ワラタ」は、ブルー・アンカー・ラインの誇りとして1908年に進水しました。
その名はオーストラリアの州花「ワラタ」にちなんだものでしたが、不幸な歴史を持つこの名前が新たな悲劇を生むことになるとは、誰も予測できなかったでしょう。
「ワラタ」は、一等船室100部屋や贅沢な音楽ラウンジを備え、当時の技術の粋を結集して設計されました。
その上、冷却設備や1年間の食糧を備蓄可能な倉庫、1日5500ガロンの淡水を生産できる施設まで装備され、ヨーロッパとオーストラリアを結ぶ移民貿易に重要な役割を果たすはずでした。
しかし、無線が搭載されていないという点は、後にその運命をより厳しいものにしたのです。
初航海は1908年11月、ロンドンから689人の三等客を含む乗客を乗せて出航しました。
しかし、その際に浮上した安定性への疑問が船に暗雲を垂らします。
オーストラリアへの二度目の航海でも、ダーバン港で下船した技師クロード・ソーヤーが「船は頭でっかちで不安定」と評したことが記録されているのです。
1909年7月26日、ワラタは乗客と乗組員211人を乗せダーバンを出港します。
同日、ある船がワラタを目撃した記録が残りますが、それ以降消息は途絶えました。その夜、悪天候が襲い荒波が高まりました。
航行中の「ハーロー」の乗員が見たという閃光と煙が最後の目撃情報とされていますが、これがワラタだったのかは定かではありません。
ケープタウンに到着するはずのワラタは二度と戻ることなく、船体の一片さえ発見されることはありませんでした。
壮大で華やかな船の姿が、海の底でどのような運命を迎えたのか。その謎は今なお深海に沈んだままです。
消えた船、ワラタの謎に迫る調査記録
世に未解決の謎というものは数多ございますが、その中でも特に語り草となるのが、1909年に忽然と姿を消した蒸気船「ワラタ」の失踪でございます。
この一件についての調査記録を紐解きますと、実に多様な証言と憶測が交錯し、まるで一編の幻想譚を見るがごとき趣がございます。
以下、その経緯を述べてまいりましょう。
まず、調査の初動では、商務省の調査官たちは、ワラタの船体構造や航海の記録を詳細に検証いたしました。
その結果、証人たちは一様に「この船はしかるべく設計され、建造されていた」との見解を示しました。
ロイズ船級協会においても、この船に「+100 A1」という最高格付けを与えております。
これはつまり、ワラタが設計から建造、そして試験航海に至るまで、あらゆる面で優良と認められたことを意味します。
ところが、これに対して異を唱える声も少なからず存在いたしました。
処女航海に乗り合わせたある乗客は、「南極海において、船が傾いたまま数時間も戻らなかった」と証言しております。
その方は物理学者のウィリアム・ヘンリー・ブラッグ氏で、船の復原性に問題があったのではないかと指摘されました。
一方、他の乗客や乗員の中には、「船はむしろ安定していて快適であった」と述べる方々もおられ、まさに正反対の証言が交わされる結果となったのでございます。
さて、こうした矛盾を孕む証言に加え、ワラタが積荷を積む際にその安定性に課題があったという意見もございました。
空荷の状態では船体が不安定で、バラストなしでは港内移動が困難だったという証言がなされたのでございます。
もっとも、これは当時の大型貨物船においては珍しいことではなく、特に問題視されるべきではないとの意見も一方で見受けられました。
さらに調査が進む中で、ワラタが積んでいた貨物に注目が集まりました。
失踪時、この船は約1,000トンの鉛精鉱を運んでいたとされております。
この貨物が嵐の中で突然偏り、船体のバランスを崩して転覆の一因となった可能性があると指摘されたのです。
また、別の説として挙げられたのが、喜望峰周辺における「一発大波(freak wave)」の存在でございます。
この地域は、巨大波が頻繁に発生することで知られております。
もしワラタがこうした大波に遭遇し、船倉を破られて浸水したのであれば、速やかに沈没した可能性は否定できません。
この説を裏付ける形で、ケープタウン大学のマロリー教授が1973年に発表した論文では、この海域で高さ20メートルに及ぶ波が観測されることがあるとされております。
また一部の学説では、ワラタが沈没ではなく漂流の末に公海で難破した可能性も考えられております。
しかしながら、これを裏付ける確固たる証拠は見つかっておらず、ただ推測の域を出ることはありません。
最後に、調査の結論として申し上げますと、ワラタの失踪原因については明確な結論を得ることができませんでした。
その設計や運行に重大な問題があったのか、それとも単なる不運であったのか、すべてが謎の中に包まれております。
今なお、ワラタの失踪は、多くの人々の想像を掻き立てる題材となっております。