Yahoo!ニュース

ホームカミング・西京極。オリックス、「原点」のわかさスタジアム京都に帰る

阿佐智ベースボールジャーナリスト
かつての阪急ブレーブスの準本拠地、わかさスタジアム京都

 「ホームカミング・デー」。大学などで卒業生が一堂に集まる同窓会の日だ。自分の出身校がだいたい梅雨前のこの時期にやっているので、この季節の日曜に行う年中行事だと思っていたが、調べてみると別に季節が決まっているわけではないらしい。しかし、そろそろ初夏の雰囲気が漂うこの時期は、久々に昔の友に再会するにはいいのかもしれない。

3年ぶりの公式戦開催に多くのファンが詰めかけた
3年ぶりの公式戦開催に多くのファンが詰めかけた

 

 そのホームカミング・デーに合わせたわけではないのだろうが、オリックス・バファローズは、27日の日曜、わかさスタジアム京都で3年ぶりの公式戦を行った。前身球団の阪急ブレーブスからのファンは知っているだろうが、かつて西京極球場(現在の通称は命名権による)と呼ばれたこの球場は、1958(昭和33)年からブレーブスのサブフランチャイズとして、チームの歴史を見守ってきた。1967年、「灰色の球団」と呼ばれたブレーブスが初のリーグ優勝を果たしたのはこの球場での東映フライヤーズ戦だった。

古都・京都の野球場

メインスタンドの通路には、京都出身の野球人を顕彰する「京都野球殿堂」がある
メインスタンドの通路には、京都出身の野球人を顕彰する「京都野球殿堂」がある

 この球場が建造されたのは1932(昭和7)年のことである。昭和天皇のご結婚を祝して京都市西郊に整備された運動公園の一施設、「西京極球場」として建設された。

 古都京都にプロ野球チームがあったと聞くとにわかに信じがたいが、戦後間もない1949年、大陽ロビンスというチームが大阪から京都に拠点を移し、京都で41試合の主催ゲームを行っている。しかし、この時、西京極球場は進駐軍に接収されており、ロビンスは市北西にある衣笠球場を使用した。ロビンスは、1950年、松竹ロビンスとなり、翌年には大阪に戻るが、この球団は、接収の解除された西京極球場でも年間十数試合の公式戦を行っている。松竹は1953年に大洋ホエールズ(現横浜DeNA)と合併、大洋松竹ロビンスとなり、翌シーズン限りで松竹が球団経営から撤退すると、大洋球団は本拠地を川崎に移し、京都からプロ野球の灯は消えたかに見えた。

 ロビンスに代わってこの球場にやってきたのは、親会社が京都に撮影所をもっていた大映スターズだった。この球団は、本拠を東京の後楽園球場に置いていたが、当時後楽園は、実に4球団の本拠地として使用され、過密であったこともあり、大映球団は、縁のある京都で試合を行うことにしたようだ。京都進出の1955年には、16試合が行われるなど、西京極球場は大映の準本拠地となるかに見えたが、その後、試合開催は激減、1961年を最後に主催試合は行われなくなる。

 大映球団は、のち毎日オリオンズと合併、東京オリオンズと名乗り、1962年からは自前の東京スタジアムを本拠とするが、奇しくも、今回のオリックスの対戦相手は、この両球団を前身とする千葉ロッテ。彼らにとっても今回の京都での試合は、ホームカミングだったということになる。

 そして、1958年からは、親会社の電鉄駅の前にあるという立地に目をつけた阪急がこの球場を準本拠地とし、1965年にナイター設備が完成すると、初優勝した1967年には、主催ゲームの3分の1近くをここで行うまでになった。しかし、1980年代になると開催数は激減し、1988年の京都国体に伴う改修工事が始まると、西京極での試合はこの年まで実施されなくなった。そして、年号が変わった1989(平成元)年、阪急からオリックスに球団が譲渡されると、オープン戦は行われるものの、公式戦は再び実施されなくなった。

ホームカミングに集ったファンたち

絶好の観戦日和の中、京都のファンはプロ野球を堪能した
絶好の観戦日和の中、京都のファンはプロ野球を堪能した

 5月28日、収容2万人のわかさスタジアムには1万6000人ものファンが集まった。オリックス球団は、統合の歴史を踏まえて、ここ数年、「関西クラシック」と題した復刻ユニフォームの企画を行っているが、今年は、5月1日から3日の埼玉西武戦で、阪急ブレーブス最後のビジターユニフォームで試合を行った。当初、京都での試合で復刻ユニフォームを使う予定はなかったのだが、このユニフォームを使用した最後の年である1988年、ブレーブスは5年ぶりにこの球場で公式戦を行っている。ホームゲームだったので、この日使った青地に「Hankyu」のユニフォームではなかったが、この日セレモニアルピッチに登場した山田久志氏も現役最後のこのシーズン、この球場で2度、先発マウンドに立った。ホームとビジターの違いはあれども、この日、「西京極球場」に集ったファンは、30年ぶりとなる「阪急の山田」のホームカミングを目にしたことになる。

 試合は、若き主砲・吉田正尚の2ランで先制した「ブレーブス」が、終盤に同点に追いつかれながらも、8回にこれまた吉田のタイムリーで勝ち越しという、まさに故郷に錦を飾るものとなり、来場したファンも大喜びだった。

 意図したものか、設備のせいなのかはわからなかったが、この試合では、昨今の球場ではおなじみのホームチームの選手の登場テーマ曲も流れず、ヒーローインタビューは広告付きの屏風なしで実施されるなど、球場全体に、昭和のプロ野球の空気が流れていた。

 思えば、昭和の時代しのぎを削っていたパ・リーグ3球団の名前は全て姿を消してしまい、そのホーム球場だった西宮、大阪、藤井寺、日生の各球場も今はない。サブフランチャイズではあるものの、旧在阪パ・リーグ球団の本拠として唯一残っているこのわかさスタジアムでの試合は、ぜひ阪急ブレーブスの復刻ユニフォームデーとして恒例行事化してもらいたいものである。

(写真は全て筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

阿佐智の最近の記事