5年目の「津波防災の日のイベント」と92年後の「稲むらの火の経験」
12月9日に東京のお台場にある東京カルチャーカルチャーで、第5回「津波防災の日のイベント」が開催され、それに参加しました。
第1回の開催が5年前の平成23年11月1日、東日本大震災が発生した年です。
みんなで考える「津波防災の日」
平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震による津波により多くの人の命が失われました。東日本大震災の発生ですが、このとき、もし皆が、より高い所へ逃げていれば、もっと数多くの命が助かったのではないかという思いが、多くの人の心に残りました。
平成23年6月に成立した津波対策推進法では、「国民の間に広く津波対策についての理解と関心を深めるようにするため、11月5日を「津波防災の日」としました。
これは、安政南海地震で津波が襲った日、旧暦の安政元年11月5日(1854年12月24日)に由来します。
しかし、マスコミによる注目もなく、国民の認知度も低いままでした。「このままではいけない!」と立ち上がったのがお天気キャスター森田正光さんで、日本のテレビ界で大活躍している木原実さんなど、お天気キャスター等に呼びかけて開催したのが「第1回津波防災の日のイベント」です。テレビ局もバラバラな上、放送する時間も違うので、お天気キャスターが一か所に集まるというのはこれが初めてのもので、会場で集めた募金とイベント収入は東日本大震災に寄付されました。
私は、気象庁海洋情報室長、和歌山地方気象台長などを歴任した経験をふまえ、「稲むらの火」の真実と和歌山県の防災対策などの話をしました。
影響力のある人の呼びかけ
お天気キャスターと津波は違うのではという疑問を持つ人もおられましたが、防災関係者や研究者が予測を立て危険を呼びかけても、一般人には中々受け入れられないのが現状です。
いろいろな人がいろいろな場面での行動が重要となってきますが、特に、森田さんや木原さんのような影響力のある気象キャスターが人々に注意を呼び掛けていくのが重要と思います。
特に、自然現象に造詣が深く、信用がおける人と皆が思っている人々の行動に対しては、「よくわかった」から一歩進めて、「よくわかったので、自分もやってみよう」ということにつながる説得力があります。
日本の「津波防災の日」が国連の「世界津波の日」に
ニューヨークにある国際連合で12月4日に開催された第2委員会では、日本が中心となって142カ国が共同提案した「11月5日を世界津波の日に制定する」という決議案を全会一致で採択しています。そして、年内にも本会議で正式に採択される見込みです。
「世界津波の日」が11月5日となったのは、日本の「津波防災の日」と同じく、安政南海地震のあった11月5日にちなみます。
安政南海地震から92年後の昭和21年(1946年)12月21日、昭和南海地震が発生し、約30分後に高さ4~5メートルの大津波が未明の広村を襲いましたが、稲むらの火のモデルとなった浜口儀兵衛が津波後に村人を雇用して作った堤防は、村の居住地区の大部分を護っています。
11月5日は単に津波被害を受けた日ではなく、津波に立ち向かってそのときの住民を助け、92年後の住民も助けるという成果を出した日なのです。
大きな被害から見ると極めて小さな成果ですが、将来につながる成果を出した日なのです。
災害経験を後世に残すために
「稲むらの火」の話や、浜口儀兵衛の再評価が広がってゆくのは、防災・減災につながると思います。どのようなことであれ、災害の教訓を忘れないといっても、自然のサイクルは私たちの一生より長いので、その教訓を活かすのは、ほとんどが孫の代、あるいは、さらに孫の代のことです。このため、重要なのは継続です。
「津波防災の日のイベント」の開催日を11月5日に固執していないのは、継続を考えているからです。可能な日に開催し、年に一回は「11月5日は津波防災の日であることを思いだし、過去の教訓を今後に生かす日」としているからです。
こういうイベントが、今回参加された若い人たちが引き続いで、10回、20回、100回と続くと災害経験が生きるのではないかと思います。