歴史に彩られた京街道を歩く!墨染~山科編
前回は京阪電車の墨染駅まで到達したため、今回はそこを出発点として山科を目指す。
墨染駅の前が墨染街道というのは前回触れたが、その後、南北へ走る道と交差する「墨染」という重要な交差点に到達する。
この南北の道は、大和街道と呼ばれてきた秀吉が造った道であり、現在も車は北向き一方通行ということもあり、奈良や宇治方面から京都へ向かう際には抜け道として頻繁に利用される。
この道沿いにあるのが藤森神社だ。歴史は平安京遷都以前にさかのぼるとされ、伝説では神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋めてお祀りしたのが始まりと伝えられている。
藤森神社の藤森祭のハイライトである5/5の駈馬神事は、アクロバティックな妙技が必見の行事だ。アジサイの名所としても知られているため、6月に訪れるのをおすすめしたい。
そこからJR藤森駅方面へ向かい、駅の前を左に折れて北へ向かうと大岩街道まで風情ある建物も点在している。大岩街道に出て右へ進むと、「深草谷口町」という交差点が出てくる。ここから北西に斜めに伸びる道には、かつてJR東海道線が走っていた。大正11年に東山を貫通するトンネルができたため現在のようになったが、JR東海道線の開通当初はここまで南に迂回して、京都駅から山科駅へと通じていた。だから途中の稲荷駅には、現在も旧国鉄最古の建物であるランプ小屋が残っている。
その交差点の北側にあるのが仁明天皇陵。仁明天皇は、嵯峨天皇と檀林皇后の子で第54代目の天皇だ。
ちなみにそこへ向かう手前右側に見えるのが浄蓮華院で、斬新な本堂が目を引く。深草毘沙門天という通称があり、この毘沙門天は比叡山から移されたもの。本堂裏側の小山は、かつて桓武天皇陵とされた参考地だ。
ここからはひたすら東へ歩いていく。途中にこの街道の名前の由来となった大岩神社の鳥居が見えてくる。この神社の上には展望所があり、京都の南部の素晴らしい景色が広がる。
名神高速道路沿いの道を進み、観光農園を過ぎると勧修寺が見えてくる。こちらは醍醐天皇の生母にあたる藤原胤子のために醍醐天皇が創建した寺院。境内の氷室池に咲く、カキツバタや花菖蒲が著名だが、春の桜や秋の紅葉もお勧めだ。
そこから地下鉄東西線の小野駅を越えてさらに進むと「小町カヤ」が現れる。小野小町のために「百夜通い」を行った深草少将が、99日目の夜に帰らぬ人となったことを小町が悲しみ、99本のカヤの木を植えた伝承があり、そのうち2本が残っているという。
そこから奈良街道に合流して北へと向かっていく。こちらは「大津街道」とも呼ばれており、名神高速道路を越えた場所に大宅一里塚跡、さらに岩屋神社の一の鳥居を経て、追分までひたすら斜めに歩く道となる。最後の追分は「髭茶屋追分」と呼ばれており、かつて髭を生やした老人が茶屋を商っていたことから名がついたという。その場所には、京阪電車京津線の追分駅があるので、そちらをゴールとしたい。
このように街道歩きは、現在もなお、同じ道を歩くことによって、簡単に歴史に想いを馳せることができる。ぜひ様々な街道を歩いてみてほしい。