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平安京さんぽシリーズ⑯ 発展する京都の玄関口「八条通」を歩く(後編)

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
若一神社の入口(※以下の写真も全て筆者が撮影)

梅小路公園の西側から出て西へ向かうと右に曲がりながら自然と八条通へとつながります。御前通との交差点にたどり着くと、北側には西に円光寺(通常非公開)、東に梅林寺(通常非公開)があり、どちらも陰陽道を統括した土御門家ゆかり寺院となっています。円光寺は土御門家邸宅跡にたち、梅林寺は土御門家の菩提寺で、どちらの境内にも土御門家が天体観測に使用した天球儀、渾天儀が置かれたという台石が残っています。

梅林寺の外観(通常非公開)
梅林寺の外観(通常非公開)

 土御門家は陰陽師として活躍した安倍晴明の子孫になりますが、中世には衰退し、応仁の乱では戦乱を避けて越前に疎開するような状況に追い込まれていました。しかし江戸時代に入ると徳川家康に招聘されて復帰し、梅小路に広大な研究所を兼ねた屋敷を構え、日本の天道と暦道を統括するようになりました。幕府の天文方と改暦では何度も争いましたが、明治に入って陰陽道は国の機関からは外され、土御門家は華族としてその名を伝えることとなったのです。

 さて八条通の旅もいよいよ西大路通へと差し掛かります。西大路八条の交差点の北東に位置するのが若一神社です。前回紹介した平清盛の屋敷である西八条邸の鎮守社という歴史を持ち、現在も神供水(じんぐすい)という名水が湧き出ており、平清盛像も境内に安置されています。また清盛が寵愛した白拍子・祇王(ぎおう)の歌碑も建てられており、清盛との悲恋を伝えています。

若一神社の平清盛の石像
若一神社の平清盛の石像

 境内外の楠木は樹齢800年、平清盛が太政大臣に任ぜられたのに感謝して自ら植えたものとされ、大切に守られてきました。若一神社の御神木であることから、西大路通に大きくはみ出ていますが、西大路通がそれを避けるように蛇行しているのも必見のポイントです。

若一神社前の西大路通は、社前の楠木を避けるように曲がっている
若一神社前の西大路通は、社前の楠木を避けるように曲がっている

 八条通の散策はここで終わりますが、実際の八条通はこの先も続きます。2キロ弱先には桂川が流れており、桂大橋を渡ると右手には名庭と数寄屋建築で知られる桂離宮が広がっています。この地域は古来、観月の名所としても知られており、百人一首の歌人でもある大納言(源)経信の屋敷もありました。

 さらにこの道は平安時代以前より西へ向かう重要な山陰道へと繋がっており、「六地蔵巡り」で知られる地蔵寺(桂地蔵)も通り沿いに出てきます。健脚の方は、阪急電車の桂駅を目指してぜひこの地域まで足を延ばしてみてください。現在の入口である京都駅八条口と、かつての西の入口である山陰道のつながりに悠久の歴史を実感できると思います。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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