久保建英が移籍するマジョルカとは。レンタルでの武者修行と見据える先。
久保建英が、マジョルカにレンタルで移籍する。
この夏にレアル・マドリーに加入した久保は、トップチームのプレシーズンツアーに帯同してジネディーヌ・ジダン監督の指導下に置かれた。だがトップで居場所を確保するという壁は厚く、2019-20シーズンはマドリー・カスティージャ(Bチーム相当)でのプレーが濃厚になっていた。
久保に対してはバジャドリーが関心を寄せていたものの、移籍成立には至らなかった。だが事態は急展開を見せ、突如として移籍先に浮上したマジョルカが久保の獲得を決めた。
マジョルカ側に買い取りオプションは付けられていない。マドリーとしてはあくまで久保を「貸し出す」考えで、復帰前提の条件の下に1年のレンタル移籍を認めたということだ。
■黄金時代
久保が加入するマジョルカとは、どんなクラブなのだろうか。
マジョルカが創設されたのは1916年だ。100年以上の歴史を誇るクラブであり、スペインのフットボール愛好家でその名前を知らない者はおそらくいない。
そのマジョルカのハイライトは1997-98シーズンだ。エクトル・クーペル監督の下、ディエゴ・トリスタン、アルベルト・ルケといった選手を中核に据えてコパ・デル・レイ決勝に進出。バルセロナに敗れたが、1998-99シーズンのスペイン・スーパーカップを制して初めてのタイトルを獲得する。
そして2001-02シーズン、故ルイス・アラゴネス(元スペイン代表監督)の下、リーガエスパニョーラで旋風を巻き起こす。熱血指揮官に率いられ、リーガを3位でフィニッシュ。チャンピオンズリーグ出場権を手にした。2002-03シーズンには、グレゴリオ・マンサーノ監督の下でコパ・デル・レイ制覇。ウエルバとの決勝戦には1万5000人のマジョルカサポーターが駆け付け、話題を呼んだ。
黄金時代を謳歌したマジョルカだが、2010年を過ぎたあたりから暗黒期に突入する。2012-13シーズン、2部降格が決定。16シーズン連続で1部残留を果たしていたが、その記録が途絶える。そして2016-17シーズンには、ついに2部B(実質3部)に降格した。
■差し込んだ光
マジョルカは2017-18シーズンに2部Bから2部に昇格すると、2018-19シーズン、2部から1部に昇格した。
2部B、2部、1部と、3年のうちにストレートでトップカテゴリーまで昇格したのは、過去に16回しかない。最後の例は、2014年のエイバルだ。エイバルには、乾貴士が所属している。その2クラブに日本人選手がいるのは、数奇な巡り合わせだ。
その背景には、2つのポイントがある。
ひとつは、オーナー交代である。カテゴリーを落としていき、マジョルカの財政は圧迫された。2部B時代の17-18シーズン(テレビ放映権による収入80万ユーロ/約9600万円)、18-19シーズン(2部時代/テレビ放映権による収入600万ユーロ~800万ユーロ/約7億円~約9億円)、資金繰りは苦しかった。
だが、2016年1月にマジョルカを買収したアメリカ人のロバート・サーバー氏の存在は大きかった。NBAのフェニックス・サンズのオーナーである彼は就任後、およそ4000万ユーロ(約48億円)の資金をクラブ強化のために投じている。
1部昇格を果たした19-20シーズン(テレビ放映権による収入4800万ユーロ/57億円)においては、財政の安定が期待されるところだ。
■熱と適応
もうひとつは、ファンの熱さ、ホームでの強さだ。
2部B降格時、ホームスタジアムの観客動員数が減った。平均で1万5000人から、1万人に減った。だが、情熱的なマジョルカファンはクラブとチームへの愛情を真の意味では失わなかった。2部で戦った18-19シーズン、ホームでの強さは絶対的だった。獲得可能な勝ち点数69のうち、49ポイントを得た。
その熱さが、マジョルカの特徴だ。チームと指揮官も同様である。この夏のプレシーズンで、「2部で400試合に出場しながら、一度も1部の練習でさえ経験できない選手がいる。だから、練習で全力を尽くせないような馬鹿野郎はさっさと去ってくれ」と選手たちを叱咤激励するビセンテ・モレノ監督の姿がスペインメディアで伝えられた。
筆者はマジョルカを訪れた経験がある。マジョルカの人々は陽気だ。同じカタルーニャ州のバルセロナの人々以上に気さく。溶け込みやすい印象がある。スペイン語を習得しており、語学堪能な久保であれば、適応に問題はないはずだ。
大久保嘉人、家長昭博に次ぐ3人目の日本人選手として、久保はマジョルカに加入する。地元紙『ディアリオ・デ・マジョルカ』電子版が「久保をめぐる狂喜」と題して伝えるほど、注目度は高い。本拠地ソン・モイクスで躍動する久保の姿を、マジョルキンが心待ちにしている。