古代人も大好物な「牛タン」牛タンが仙台発祥となった背景についても紹介
「牛タン」は、ホルモンのなかでもとくにメジャーで人気が高く、いまでは焼肉やBBQにも欠かせない存在となっています。
日本での発祥は、1948年に仙台で提供された「仙台牛タン焼き」。
その後、日本全国に広まったといわれていますが、世界ではじめて食されたのはもっとずっと前、原始時代にまで遡るのです。
今回は、世界における牛タンの歴史とともに、仙台が発祥の地となった背景についても紹介します。
古代人の大好物
原始時代には、「ウシ」は存在していませんでした。
代わりに、家畜牛の祖先とよばれるウシの一種「オーロックス」が存在していましたが、体格はウシの一回り以上も大きく獰猛な性格だったようです。
そんなオーロックスは脂肪分が多く、古代人は好んで食べていました。
とくに牛タンの脂肪含量は、非常に高かったとか。
オーロックスもウシの一種であることから、世界ではこの頃からタン(牛タン)が食べられていたとされています。
その後、最後の1頭となっていた野生種としてのオーロックスは、1627年にポーランドで亡くなり絶滅。
子孫である「コブウシ」は、現在世界中で飼育されています。
日本の牛
ぎゅう原始時代から縄文時代ごろの日本には、ウシやその祖先にあたるオーロックスは存在していませんでした。
諸説はありますが、日本に初めてウシがやってきたのは弥生時代ごろなのではないかといわれています。
しかしその後、肉食禁止令や殺生禁止令などが発令された時代もあり、公然の場でお肉が食べられるようになったのは明治維新後でした。
仙台で発祥した秘密
牛タンが日本で食されるようになったのは、太平洋戦争が終結した後のことです。
牛タン焼きの生みの親である「太助」初代店主・佐野啓四郎氏は焼き鳥を中心とした料理を取り扱っていましたが、当時は終戦から間もないこともあって鳥だけでなく豚肉や牛肉といった食材も取り入れていたのだとか。
しかし、焼き料理は調理が簡単でヒット商品を生み出してもマネされてしまうことが悩みのタネでした。
誰にもマネのできない自分だけの料理を作りたいと思っていた頃、友人に勧められた洋食料理で「牛タン」と出会います。
コクのある牛タンの旨さに魅了され、研究ををはじめた佐野啓四郎氏は幾度とない試行錯誤を行ったそうです。
そして終戦から約3年後の1948年、日本が復興に向けて歩みはじめた頃、ついに「牛タン焼き」の提供が行われました。
いつしか牛タンは仙台を代表する食材となり、全国で愛されるようになったのです。
現代の牛タン
牛タンはアジア料理やヨーロッパ料理にも取り入れられ、身近なところでは焼肉店だけでなく居酒屋でも楽しめるようになりました。
また、最近では自動販売機や無人販売所などでも販売され、自宅でも気軽に楽しめます。