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メンバーの被災地支援の在り方に共鳴。原発事故で避難してきた人々が暮らす下神白団地へ

水上賢治映画ライター
「ラジオ下神白」の小森はるか監督  筆者撮影

 震災後から東北に入り、地元で生きる人々とその営みを記録し続けてきた小森はるか監督。

 「息の跡」や「空に聞く」などに続く新たなドキュメンタリー映画「ラジオ下神白-あのとき あのまちの音楽から いまここへ」で、彼女は福島県いわき市にある「下神白(しもかじろ)」団地を訪れる。

 福島県復興公営住宅である下神白団地で暮らすのは、2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故によって浪江・双葉・大熊・富岡町から避難してきた方々。

 住人はご高齢の一人暮らしの方々が多い。

 下神白団地では、その住人同士のつなぐ、ユニークな支援活動が行われている。そのプロジェクトが「ラジオ下神白」だ。

 文化活動家のアサダワタルを中心にしたメンバーが始めた本プロジェクトは、2016年から、団地に住む人々にまちの思い出と、当時の馴染み深い曲について話を伺い、それをラジオ番組風のCDに。団地で暮らす人々の元に届けてきた。そこから派生して、2019年には、住民の思い出の曲を演奏する「伴奏型支援バンド」を結成。バンドの生演奏による歌声喫茶を開催したり、ミュージックビデオを作ったりと、住民同士の交流の場を生み出している。

 小森監督はプロジェクトのメンバーに加わり、この音楽=アートを通してのユニークな被災地支援活動を記録している。

 そこから見えてくるのは、支援という言葉で片づけたくない支援とでも言おうか。

 うまく言葉で表せないが、共に支え合い、共に生きる理想の形のようなものが見えてくる。

 映画「ラジオ下神白」が映し出すものとはなにか?

 昨年開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭の参加時、小森監督に話を訊いた。全八回/第一回

「ラジオ下神白」の小森はるか監督  筆者撮影
「ラジオ下神白」の小森はるか監督  筆者撮影

プロジェクトの記録担当として依頼を受けました

 はじめに、「ラジオ下神白」のプロジェクトへ参加することになったいきさつの話から。

 実のところ「映画を撮る」「映画にする」といったことで参加したということではなかったという。

「もともとは映画にするためではなくて、(『ラジオ下神白』のプロジェクトの)記録担当として依頼を受けました。ただ、最終的に映画にできたらいいよね、という話は相談を受けた時点でもしていました。

 わたしに直接声をかけてくださったのは、プロジェクトで広報物編集などをされている川村庸子さんです。

 川村さんとわたしは友人として長いお付き合いがあって。

 わたしの作品をずっとみてくれていて、住んでいた地域は離れてたので頻繁には会えないけど、震災後に出会った同志という感じがあって、信頼しているし応援もしてもらっている仲の友人です。

 話を戻すと、川村さんはアサダさんを中心とした『ラジオ下神白』のメンバーの一人で、この活動をテキストで記録する編集者として関わっていらしたんですね。

 半年くらい団地を訪問する中で、ある時点で『テキストの記録だけではなく、映像の記録も残した方がいいのではないか』と強く思われたそうなんです。

 たとえば、プロジェクトのメンバーが下神白団地の住民のみなさんのお宅を訪ねて、膝を突き合わせていろいろとお話をお伺いする。でも、その人の語り方であったり、聴く側の相槌のうち方であったり、その場の雰囲気といったものが、インタビューを文字に起こすという記録方法だと抜け落ちてしまう。声や歌、音楽といった音が重要なプロジェクトでもあったので、文章だけで伝えるのは限界があるなと感じたそうなんです。

 そのとき、この空間自体をそのまま残すのに最適なのは『映像で記録することではないか?』という思いに至ったみたいで……。そこで、アサダさんをはじめプロジェクトのメンバーと相談されていたんですね。

 その話し合いの中で、ありがたいことにこの場を撮れるのは小森さんしかいないと思ってくれたみたいで、お声がけいただきました」

「ラジオ下神白」より
「ラジオ下神白」より

「ラジオ下神白」の被災地支援の在り方に共鳴するところがありました

 打診を受けたときは、どんな受けとめだったのだろうか?

「実は、『ラジオ下神白』に参加することになるまで、アサダさんとは面識がありませんでした。

 ただ、一方的には以前から知っていました。

 文化活動家として活動されているアサダさんのことはもちろん、『ラジオ下神白』も関わる前から聞いたことがあって。

 わたしが参加する前の段階で、すでにプロジェクトは2年ぐらい続いていたんですけど、ユニークな試みをしている人がいるなと思って興味をもっていました。

 だから、最初の受け止めとしては、素直に嬉しいお話をいただいたなと。

 それから、記録撮影に入る前に、川村さんからプロジェクトの経緯や団地の現状などを詳細に教えてもらったり、実際に作られたラジオCDを聞かせてもらったり、住民さんのお名前や人物像を伺ったりしていくうちに、よりこれまでわたしが取り組んできたことと通じることがありそうだな、と興味を持ちました。

 『ラジオ下神白』の被災地支援の在り方に共鳴するところがありました。

 なにより共鳴したのは『ラジオ下神白』のメンバーが団地の住民さんに対して向き合う姿勢で。

 被災地支援といっても『被災者』として接していないんですよね。インタビューでも、いわゆるラジオの取材をしているような聞き方は全くしていなくて。その方と一緒にいる場であったり、その方の話に耳を傾ける時間であったりをものすごく大切にしている。そして、お互いに楽しそうなんですよね。

 住民さんと一緒にいる、『今そのとき』の時間を大事にしている取り組みであることがよくわかりました。語りたい人と聞きたい人の幸福な関係というか、それはわたしがカメラで記録したいと思う瞬間と通じていたんです。

 そこで『ぜひ参加したい』と思いました」

(※第二回に続く)

「ラジオ下神白-あのとき あのまちの音楽から いまここへ」ポスタービジュアル
「ラジオ下神白-あのとき あのまちの音楽から いまここへ」ポスタービジュアル

「ラジオ下神白-あのとき あのまちの音楽から いまここへ」

監督・撮影・編集:小森はるか

出演:下神白団地の住民さん、アサダワタル、榊 裕美、鈴木詩織、

江尻浩二郎、伴奏型支援バンド(池崎浩士・鶴田真菜・野崎真理子・

小杉真実・岡野恵未子・上原久栄)ほか

編集・整音:福原悠介

ミュージックビデオ撮影・録音協力:齊藤勇樹、長崎由幹、福原悠介

企画:アサダワタル

デザイン:高木市之助

広報物編集:川村庸子

公式サイト https://www.radioshimokajiromovie.com/

東京・ポレポレ東中野にて公開中、以後、全国順次公開予定

筆者撮影の写真以外はすべて(C)KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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