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日本代表では給水係経験のレメキ ロマノ ラヴァ、1部で戦うためNEC移籍。【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
2019年日本大会時。子どもたちをグラウンドレベルへ。(写真:ロイター/アフロ)

 2021年、ラグビー日本代表が約1年8か月ぶりに活動を再開させた。2019年のワールドカップ日本大会で8強入りして以来の集合である。当時の一員で今年もメンバー入りしたレメキ ロマノ ラヴァが、遠征先での逸話を語る。

オンライン取材時は、日本代表で同僚の中島イシレリ(神戸)のTシャツを着ていた(スクリーンショットは筆者制作)。
オンライン取材時は、日本代表で同僚の中島イシレリ(神戸)のTシャツを着ていた(スクリーンショットは筆者制作)。

 ニュージーランド出身のレメキは身長178センチ、体重96キロの32歳。キヤノン、マツダを経て2014年にホンダ入りし、同部在籍中に日本国籍を取得した。

 2016年には男子7人制日本代表としてオリンピックリオデジャネイロ大会で4位入賞。同年に15人制の日本代表にも初選出され、日本大会ではサモア代表戦でプレイヤー・オブ・ザ・マッチに輝いている。

 2021年5月までの国内トップリーグには宗像サニックスの一員として参戦も、2022年1月からのジャパンラグビーリーグワンに向けてはNEC東葛へ加入。移籍早々に副キャプテンを任されている。

 今夏、単独取材に応じ、ウォーターボーイを任された代表戦、アウェーでの過酷な練習環境、新天地選びのポイントについてざっくばらんに語っていた。

 以下、単独取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。

――ツアー終了後は、隔離生活がありました。

「隔離、めっちゃ辛かった。最初は関西国際空港(周辺)で6日間。部屋から出られなかった。ずーっと。ご飯も朝、昼、晩、弁当。ネットフリックスをいっぱい見たけど。あとは、家(での隔離)も1週間。で、毎日12時に『家にいるか』と(隔離生活を報告するためか)ビデオ電話。帰ってきた後は(当時住んでいた福岡から関東地方への)引っ越しの準備をしなきゃいけなかったから、大変だった」

――新天地にはいつから合流したのですか。

「(8月上旬の)月曜日から参加している。ただ、メニューだけ別。ジャパンの合宿、今月の合宿に向けて身体のリカバリーとかの別メニューを」

――1年8か月ぶりの代表活動はいかがでしたか。

「めちゃめちゃ楽しかった。(それ以前に)最後に会ったのはワールドカップ(日本大会、2019年)だったけど、ずーっと一緒にいた感じ。何も、変わっていない。雰囲気もよかった。今回(春から夏のツアー)は試合に出ていなかったけど、ツアーだけでも楽しかった。チームの雰囲気は2年前とかと一緒で、(練習は)きつかったけど、ずっと楽しかった。ひとつだけ辛かったのは、コロナとかあったから1人部屋だったこと。合宿はいつも2人部屋で、それをずっと楽しみにしていたけど、今回は1人部屋で寂しかったね」

――リーチ マイケルさんが話していました。レメキさんは、床に落ちたタオルを率先して拾って練習環境を整えてくれていたようですね。

「チームのためだから。試合に出なくても、皆が準備できるようにしていた。それが、日本代表の強さ」

――活動再開後初の代表戦が、ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズでした。

「準備の時間がそんなになかったので、(フォーカスしたのは)俺らのやりたいラグビーだけ。最初はあまりできていなかったけど、後半は結構よかった(10―28と惜敗も後半に追い上げた)。自分たちのラグビーをやればどんな相手にも勝てるよ、と。

 あの試合、ウォーターボーイやっていて。…カオスだね! (場内は)うるさいし、言ってること(インカムでの指示)は早いし。こっち側(右耳)はお客さんの声がめっちゃ聞こえるし、こっち側(イヤホンの入った左耳)はジェイミー(・ジョセフヘッドコーチ)の声。

 俺、英語、日本語、トンガ語、どれも喋れるから。基本、バックスにメッセージを伝えることが多かったけど、サイア(トンガ出身のシオサイア・フィフィタ)へのメッセージがあったらトンガ語で話した。山中には普通に日本語。で、ティム(少年時代をニュージーランドで過ごしたラファエレ ティモシー)には英語。

 ジェイミーからのメッセージが聞こえたら、『はい! 聞こえたよ!』と手を挙げなきゃいけない。アイルランド代表戦でももう1回、やるつもりだったけど、足が痛くなって。

 ウォーターボーイをやると、ちゃんとは試合を観られない。メッセージも聞かなきゃいけないし、水を持ってダッシュもしなきゃいけない」

――ライオンズ戦の前の練習会場は当初、ゴールポストも立っていないようなところだったと聞きます。

「あぁ、あれはちょっとひどかったね。普通の公園みたいな。ラグビーのポールも、ラインも、何もない。で、(地面が)人工芝より硬い。ジェイミーもめっちゃ怒ってた。『ライオンズと試合をしに来たのに、何だこれは!』って。結構、身体(筋肉)、張るよ。特に膝、足首が悪い人があのグラウンドでやったら、怪我するよ。1日目は皆、びっくりしていた。

 次の日から違うグラウンドを使って。そのグラウンドも硬かったけど、ポールもあった、普通のラグビーグラウンド」

――アイルランド代表戦前は。

「ダブリンのグラウンドはめちゃよかった。(ホテルからも)めっちゃ近いし。スコットランドのグラウンドは、ホテルからのバスでの移動時間が45分もかかる。ダブリンはよかった。バブルだからホテルから出られなくて、練習行って帰って来るだけ。でも、ホテルがよかった」

――バブル生活は。

「外に出られないから、ずっと(チームメイトと)一緒にいた。ダブリンのホテルには庭があった。リーチがクリケットセットを買ってくれて、外に皆、集めてやった。で、チームのコーヒーマシンもあるので皆で作った。1人部屋にずっといるのは嫌だから、卓球のテーブルとかもあったチームルームにいることが多かったかな」

――改めて、移籍の経緯について伺います。まず、前所属先の宗像サニックスは、昨季限りで活動規模が変わりました。組織の変革については、どういう経緯で言われましたか。

「結構、前から、3部とかに落ちるって噂が出た(※)。もし日本代表でやるんなら、3部はきついなと。チーム、色々、探して、決まった時にサニックスにもう1回連絡した。『いままでありがとう』と言われたね。宗像、いいところだったけどね。めちゃ、ゆっくりできる。クラブハウスの裏に海があるからリカバリーができる。全然、楽しかった。いたのは1年ぐらいだったけど」

※リーグワンのディビジョン分け(1~3部)の作業は今年7月上旬まであり、競技成績以外の項目は昨年12月末までに審査が終わっていた。

――新天地の決定は。

「(遠征先の)ダブリンか、スコットランドかで、本当に最後の最後に決めた。(移籍先の候補は)最後、3つの選択肢(移籍先候補)があった。関東に帰りたかった。奥さんが東京の人だから。俺、(遠征などで)家にそんなにいないから、そういう時に奥さんが実家に帰れるように。

 NECは、昔はめっちゃ強かったし、これから強くなりたい、強くなれるというチャレンジのチーム。そうスタッフと話していた。(それ以外の2チームは)普通に強いですよね(前年度好成績を収めていた)。チャレンジしたい。強いところで勝つことは、当たり前のことで、誰でもできるよね。強くなりたいチームに入って、ウィニングカルチャーとかをゼロから作りたい。(拠点が)渋谷から遠いのもいい。遊びに行かなくなるから!」

――マイケル・チェイカ新ディレクター・オブ・ラグビーについて。

「それが楽しみ。マイケル・チェイカはどこに行っても、どんなチームに行っても強くなる。NECは絶対これから強くなる。色んな選手も採ったし。結構、楽しみになるよ」

 日本代表でもチームマン兼フィニッシャーという得難き役割を担う通称「マノ」。移籍したてのNEC東葛で役職を担うのも、自然な流れかもしれない。1月からのリーグワンでも大暴れが期待される。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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