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田中史朗、引退発表。歴史を変えるための苦言。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
写真左から松島、田中、松田(筆者撮影)

 緊張したような顔で登壇する。大きく息をはく。一言、一言、間を置いて伝える。

「私、田中史朗は、今シーズンの、終了をもちまして。現役を、引退することを、決めましたので、皆様にご報告させていただきます」

 国際リーグのスーパーラグビーでプレーした初の日本人選手で、日本代表として2011年から計3度のワールドカップに出場した田中史朗が、4月24日、都内で会見。今季限りでの現役引退を発表した。現所属先のNECグリーンロケッツ東葛は、加盟する国内リーグワン2部の順位決定戦や1部との入替戦を計4試合、残している。

 現埼玉パナソニックワイルドナイツから現横浜キヤノンイーグルスに移籍したばかりの20年以降、代表と距離を置いていた田中。一昨季から国内リーグワン2部のNECグリーンロケッツ東葛に所属するなか「限界」を感じていたという。

「本当に身体がきついというのがまずひとつ。日本ラグビーがすごくレベルアップしていて、僕のいまのパフォーマンスで現役を続けていていいのかな…という部分もあった。それをずっと考えながら、そのなかで、やっぱり『僕がやることの意味』というのもあったので、ずっと続けてこられたんですけども、やはり、本当に限界というものを感じて、こういう決断に至りました」

 来季はグリーンロケッツのアカデミーコーチに軸足を置き、全国の子どもたちにラグビーを教えたいと話す。最終目標は「日本代表のヘッドコーチ」だ。

「厳しさがあるヘッドコーチは絶対に必要。特に日本のラグビーでは厳しさがないと世界には勝てないと自分でも体感したので。そのなかで、人間として、選手と、一緒に戦っていけるような、家族のような、何でも話せるような間柄になっていければいいなと思っています。きれいごとだけでは(代表指揮官には)なれないと思うので、これからもいろんなコーチングを学びながら、周りの人とのこのつながりというものを大事にしながらやっていければと思っています」

 身長168センチ、体重72キロの39歳。ポジションは攻防の起点となるスクラムハーフ。リズムの強弱をつけた球さばき、攻守で相手の弱みを突く嗅覚に秀でる。果敢なタックルでも鳴らした。

 本人が「身体能力は高くない」と認める通り、スピードやパワーといった有形の力に頼らずこの国の顔となった。

 パイオニアだった。

 一念発起してニュージーランドに飛んだのは12年のこと。11年のワールドカップニュージーランド大会を未勝利で終え、ラグビー人気を低迷させたことへの自責の念にかられていた。京都産業大学時代に留学し、相手との体格差、環境の違いに意気消沈していた場所に、覚悟を決めて渡った。

 オタゴ代表となって地域代表選手権で活躍し、同じエリアからスーパーラグビーへ挑むハイランダーズと契約した。

 ハイランダーズのコーチで、その頃の田中が在籍していたワイルドナイツのレジェンドでもあるトニー・ブラウンからオファーされた時は涙があふれた。

 ちなみにブラウン、さらにはヘッドコーチのジェイミー・ジョセフヘッドコーチは、ワールドカップ日本大会で8強入りした日本代表でもタッグを組んだ。

 ハイランダーズにはアーロン・スミスがいた。ニュージーランド代表の主軸を張るこの戦士と、田中はスクラムハーフの定位置を争った。スミスが不調の際は、田中が先発の座を奪うこともあった。

 世界トップのサーキットで揉まれながら、日本代表としては13年にウェールズ代表を初めて撃破。スーパーラグビー優勝を果たした15年には、ワールドカップイングランド大会で南アフリカ代表などから歴史的3勝を挙げた。

 当時の日本代表ヘッドコーチであるエディー・ジョーンズヘッドコーチ(今年約9年ぶりに再登板)にも忌憚なく意見をぶつけた。圧倒的な存在感を誇る指揮官に自分から意見できる、希少な存在だった。

「一回、ちょっと、全てを話そうかなと(強化方針やチーム運営について)。こっちも自分のパフォーマンスが良くないので、偉そうなことは何も言えないですけど。大会に入ったら、信用したい。そうしないと、自分のパフォーマンスもよくならない。日本のためにやりたいからこそ信用する。そのために、ある程度の話をする」

ハイランダーズ田中史朗、最新独占激白2「全てを話そうかなと」【ラグビー旬な一問一答】 

 こう話したのは、勝負のイングランド大会が始まる約3か月前。鋭い舌鋒はガバナンスに向くことも多く、16年の発足へ足並みが揃わなかったスーパーラグビーの日本チーム(後にサンウルブズと命名・20年まで活動)についてはこう苦言を呈していた。

「嫁には謝ったんですけど、(ハイランダーズ入りを決めた)当時、僕は27歳で、アホで、ただ『日本のために』と調子に乗って。一応、成功したんでよかったですけど、もしこれですぐに怪我でもしていたら、嫁も子どもも路頭に迷うところだった。これから日本のスーパーラグビーで、となったら、誰をどういう形で入れるのかはわからないですけど、いまの状態やったら厳しいかなというのは感じますね。怪我をするリスクが高く、それを安い金額でやる…。そんなの誰が行くねんという話です。これは僕が思っているだけかもしれませんけど、プライドだけで『行く』と言えるのは若手だけです」

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 その時々で少しでも現状をよくしたいと思い、その考えを口にしてきた。イングランド大会中も、練習の仕切り方を巡って指揮官に立ち向かう一幕があった。

 今度の会見では、フォトセッションの折にサプライズがあった。代表で仲が良かった松島幸太朗、松田力也がウイスキーや花束を持って登場。会見中からすでに声を震わせていた田中は、「さっき(会見中)、がんばって泣かんかったのに…」と再び嗚咽を漏らした。

 松島は15年大会時、ジョーンズ体制下で選手の意識に関して活を入れていた田中に共鳴したひとりだ。当時こう述べていた。

「(自分も田中と)同じ思いでしたし、はっきり言える人がいてよかったんじゃないかと。なかなかあそこまでストレートに言える人はいない。そういう人がいて(チームが)変わったところもある」

 日本ラグビーの歴史を変えたい一心で動いてきた田中。口癖は「日本ラグビーをよろしくお願いします」。15、19年のワールドカップで結果を出すたびに多くのファンを生み出し、土壌を豊かにした。

 この国の楕円球界にとって激動の時代を作り上げた思いを、このように振り返った。

「自分の使ってきた時間が日本のラグビーを変えていけるという思いを持ってプレーしていたので。いまの子どもたちが世界を見る機会も増えたと思います。本当に日本のラグビー界の、ラグビーに対する気持ちというものを変えられたんじゃないかと思っています」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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