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【光る君へ】藤原為時は賄賂を拒否。受領はそんなに旨味があったのか?

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
越前海岸。(写真:イメージマート)

 今回の大河ドラマ「光る君へ」では、藤原為時が越前国に赴任し、政務に携わる場面が描かれていた。その際、為時は部下から賄賂を渡され、仕事を任せてほしいといわれたが、毅然とした態度で断わっていた。受領というのは、そんなに旨味のある仕事だったのか、考えてみることにしよう。

 長徳2年(996)、為時は従五位下・越前守に叙位に関されたので、早速、現地に向かっていった。

 当初、為時は淡路守に任命されていたが、若狭に宋人が到着し、越前に移されたという事情もあり、急遽、越前守に変更されたのである。理由は、為時が学問に優れており、宋人との対応に向いていると判断されたからだという。

 受領とは国司の筆頭者として現地に赴任し、守また権守が担当した。主に、四位・五位の下級貴族が任命された。

 ただし、上野国、常陸国、上総国の3ヵ国は親王任国(親王が国守で現地に赴任しない)だったので、次官の介、権介が受領を務めた。なお、現地に赴任しない者は、遥任と称された。

 受領は徴税に関わっており、現地では大きな権限を持っていた。同時に、受領はかなりの蓄財を行い、巨額の財産を築いていた。

 そのような事情から、下級貴族は摂関家にアプローチし、受領になることを望んだという。当時の人々は高いモラルを持っていたとは考えにくいので、そういうことは当たり前のことだった。

 受領の任期は4年だったが、旨味のある仕事だったので、重任などによって任期を延長することがたびたびあった。その際には、当然のことながら賄賂が贈られたのである。

 受領の中には、莫大な私財を貯め込み、平安京に豪勢な邸宅を構える者がいたという。長く地位に留まりたいと考えるのは、当然のことだろう。

 その一方で、受領は恣意的な支配を展開し、農民に多くの負担をもたらしたので、訴えられることもあった。永祚元年(989)、「尾張国郡司百姓等解」は、農民らがあまりの苛性に耐えかねて、尾張国司の藤原元命の不法を訴えたものである。これにより、元命は更迭されたのである。

 そのほか、信濃守の藤原陳忠が「受領ハ倒ル所ニ土ヲツカメ」(転んでもタダでは起きないという意味)と言ったエピソードはあまりに有名である(『今昔物語』)。

 残念ながら、為時の越前在任中における状況は、ほとんど知るところがない。一般論でいえば、為時だけが清廉潔白で、一切の賄賂を拒否し、蓄財に励まなかったとは考えにくい。程度の差はあるのだろうが、ほかの受領と同様に、その旨味を享受していたと考えられる。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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